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2020年11月13日 (金)

『神戸と映画』を読んで

昨年4月に出た板倉史明編著『神戸と映画』をようやく読んだ。神戸は10回以上行ったことがあるが、いずれも仕事でゆっくりしたことがなく、いまだに土地勘はゼロ。しかし神戸の人々がかなり自分の土地に愛着と自信を持っているのは感じていた。

この本を読むと、映画において神戸は時には東京を上回るほどの「映画都市」だったことがわかる。この本は12人の筆者が専門分野に応じて論文を書いているが、上田学氏は「昭和初期の神戸市・兵庫県における映画の配給と興行」で1923年の関東大震災後にアメリカのメジャーの映画会社が、支社を東京から神戸に移動させたことを書く。

パラマウント、フォックス、ユナイテッド・アーティスツの日本支社は神戸に移り、10年近くは続いた。1919年に生まれた映画雑誌『キネマ旬報』も「関東大震災から五年後の1927(昭和2)年に本社を移すまで、阪神間から外国映画の情報や批評を発信し続けたのである。多くの映画評論家がこの香櫨園時代の『キネマ旬報』を同人の集う理想的な場として描いている」

そしてもちろん大劇場があった。「昭和初期の神戸における中心的な繁華街として知られた、湊川新開地の中央に位置していたのが、聚楽館である。聚楽館は、1913(大正2)年に開館し、神戸はもとより関西を代表する大劇場のひとつであったが、1927(昭和2)年に映画館に改装され、湊川新開地の映画館街のシンボルとして、長年にわたり親しまれた。(中略)改装後の聚楽館は、二階建ての映画館の上階にアイススケートリンクや屋上庭園を備えた、大規模かつ複合的な娯楽施設であった」。建物の断面図まである。

1909年に神戸で生まれた淀川長治はもちろんそこに通い、「いちごや宇治や氷あずきをスプーンでしゃぶしゃぶかきまぜ、それをそっと口に運びながらの映画見物はいかにも楽しかった」と書き残す。この映画館では英語のみ表記のプログラムもある。「旧居留地の商館等に勤める外国人とその家族、あるいは知識人の観客を想定して発行されたものと考えられる」

巻末に田中晋平氏作成の神戸映画館マップがある。新開地には1930年代の中ごろ、14の映画館があった。1958年には17館、2018年には4館。その中心に聚楽館があったが、ネットで見るとここは1978年に閉じたようだ。1958年は日本の映画のべ人口が11億人を超して最高の年である。この年神戸市の人口は106万人で市内に85館があり、153万人の2018年には12館(42スクリーン)となった。

かつては全部の区に映画館があったが、今は東灘区、灘区、須磨区、垂水区からは消えてしまった。これは全国の都市で起こった現象で、駅ごとに映画館があったのが、中心部のみになった。この本には多くの映画館の写真もある。1970年代以降の<グループ無国籍>の上映活動や伊丹グリーン劇場における特撮ファンの共同体についても論じられている。全国の都市でこうした本が出たらどんなに楽しいことだろうか。

 

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