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2020年11月14日 (土)

『燃ゆる女の肖像』に驚嘆する

12月4日公開のフランス映画『燃ゆる女の肖像』を見て、その純度の高さに驚嘆した。画家を描く映画として、18世紀が舞台の映画として、レズをテーマにした映画として、まさに前人未到の域に達した観がある。

今年はヨーロッパ映画の傑作が多い。イタリア映画では『マーティン・エデン』で若き俊英の誕生に驚いたし、『シチリアーノ 裏切りの美学』では巨匠の健在を見た。ドイツ映画『ある画家の数奇な運命』もその強烈な中身の濃さに震えた。そしてフランス映画でも、セリーヌ・シアマ監督がこの作品で映画の新たな領域を生み出した。

感じとしてはロベール・ブレッソンかジャック・リヴェットが撮ったレスビアン映画というところか。フランスのレスビアン映画としては『アデル、ブルーは熱い色』以来の充実度だし、画家の映画としてはリヴェットの『美しき諍い女』を思わせる物質感覚だ。白いカンバスにカサカサと絵を描く音と映像が、冒頭のクレジットから出てきていい感じ。

映画は18世紀の女性画家マリアンヌ(ノエミ・メルラン)が、伯爵の娘、エロイーズ(アデル・エネル)の肖像画を描く様子を見せる。出てくるのはほとんどこの2人に召使のソフィーとエロイーズの母(ヴァレリア・ゴリノ)だけ。冒頭でマリアンヌが若い女性たちに絵を教えるシーンやラストの短いエピローグを除くと、舞台はブルターニュの孤島の館でそこにはこの4人しかいない。

おもしろいのはこの4人にあまり上下関係がないこと。2人が貴族ということもあってみんなが一応敬語を使っているが、召使のソフィーに対してもエロイーズもマリアンヌも友人のように接し、ソフィーの堕胎に2人は立ち会う。エロイーズもその母もマリアンヌに命令調ではなく、女同士の会話はいつも柔らかい。

絵を描くうちにエロイーズとマリアンヌが少しずつ近づく。最初に描いた絵は失敗し、エロイーズの母が5日間パリに出かけた時にマリアンヌは再度挑戦する。肖像画を描くのは、エロイーズの結婚のための見合い写真の代わり。結婚に関心のないエロイーズは乗り気ではないが、マリアンヌと少しづつ近づいて、ある時2人は抱き合う。

この過程は息を呑むようでどこで感情の変化が生まれたのかわからないが、ある時情熱的にキスをする2人を見ると、これこそ愛だと思ってしまう。いくつかの官能的な細部がある。2人が海辺に行って、エロイーズが泳ぎ出す。マリアンヌがピアノでヴィヴァルディ「四季」の「夏」を少しだけ弾くのをエロイーズが聞く。なぜか赤ちゃんをベッドに置いてソフィーが堕胎の処置を受ける時、2人は見つめ合う。オルフェの話をエロイーズがする時のソフィーとマリアンヌの異なる反応。村の祭の女たちの歌声。

最後に2人の再会が2度出てくる。これが抜群で涙が出た。この監督は『水の中のつぼみ』(2007)見ているが、これほどの才能があるとはおもわなかった。年末に出てきたが、今年最高の外国映画かもしれない。

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