大学の教師はヒマか
この3連休、働いていた。自分の原稿や論文でなく、普通の大学の仕事があった。土曜日は今年から始まった1年生向けの全学共通授業で朝9時から12時過ぎまでオンライン、日曜日は朝8時半から19時まで対面の入試と採点、月曜日は通常授業だった。
おおむね大学の教師と言えば、週に2、3回大学に行けばいい、時間が自由になる、という印象が強い。私が平日昼間に映画の試写に行くと、「やはり先生は時間が自由ですね」と言われる。ところが現実はそうでもない。
会社員を20年強、大学の教員を10年強やった私の経験からすると、2つの仕事の一番の違いは大学は時間が自由にならないということで、世間の想像と逆だ。会社員の仕事は個人で進める場合も、社内外の人々とやる場合も、時間は調整できる。個人でやる場合はもちろんだが、相手のいる場合も打ち合わせの時間は相談して動かせる。
例えば東京国際映画祭でどうしても見たい映画がある場合は、会社員ならいろいろずらせば可能になる。極端な話、休暇を取ることさえ可能だ。半休などもある。ところが、大人数の授業を抱えた教師は、まず休めない。休むとほかの時間に補講が必要だが、学生数が多いと時間の設定が極めて難しい。
私が学生の頃は「休講」はザラだった。補講なんてなかった。平均すると授業は半年に10回くらいだったのでは。今は文科省の指導で、半年に15回の授業が義務付けられている。少なくとも事務方からは、休講届と同時に補講届を出すよう言われる。私個人は2、3回休んでも同じだと思うが。
例えば大事な人のお葬式がある場合でも、身内でなければまず授業が優先する。それから教授会を始めとする学内の会議も、出席者に連絡して「時間をずらしてください」ということもありえない。そうすると、週のうち半分は「動かせない時間帯」となってしまう。
入試となると絶対で、かなりの病気にならない限りは行かねばならない。実は日曜日は東京フィルメックスでマノエル・デ・オリヴェイラ監督の7時間の『繻子の靴』を見たかったが、もちろんそれは理由にならない。実は1985年のカンヌ(初めての国際映画祭!)で最初の2時間ほどは見たのだが、あの永遠の時間を35年ぶりに味わいたかった。
それでは会社員の方がよかったかと言うと、そんなことはない。大学の教師は、教える内容や書く論文については基本的に一切の自由がある。会社員は仕事の内容をすべて上司や同僚にチェックされ、評価される。それがその後の昇進や左遷につながる。当たり前のことだが、大学はこれがない。この違いが嬉しい。
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