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2020年11月15日 (日)

佐倉の『性差の日本史』に考える

国立歴史民俗博物館に「性差(ジェンダー)の日本史」展を見に行った。千葉県佐倉市にあるこの博物館には、3年前に「1968」展を見に行って衝撃を受けた。今回の展覧会にもそんな気配を感じて、自宅から列車やバスを乗り継いで2時間近くかけて行った。

想像通り、刺激的な展覧会だった。「1968」展の場合は、ヘルメットやポスターやドキュメント映像など、見てわかりやすいものが並んでいた。こちらは屏風絵や手紙や木簡などで、よく見てもすぐにはわからない「資料」が多い。それでも拡大図や現代語訳などを頼りに解説パネルを読んでいくと、いくつもの衝撃的な事実がわかってくる。

全体は「政治空間における男女」「仕事とくらし」「性の売買と社会」の3テーマに分かれ、性による区分がどのように生まれ、変化したのかを読み解く。全体を見た印象で言えば、古代には男女関係なく政治にも仕事にも家事にも従事していたが、中世から近世にかけて少しずつ女性を排除する動きが強まり、明治政府で確立する。戦後はそれを少しずつ緩和してきたが、まだまだ。

まず、古代には3世紀の卑弥呼に代表されるように、女子の首長も多かった。『魏志』倭人伝では、政治集会(会堂)に父子・男女の区別なく参加していたことが書かれている。これは八世紀の律令にも書かれている。会場にはその文書から神社で男女が集う「直会」(なおらい)の様子を人形で再現している。

首長に関しては古墳前期(3世紀)で女性が3割から5割、古墳後期(7世紀)で1割を切る。これは古墳の副葬品でわかるという。女性には甲冑は副葬されず、軍事権においては男性が中心だった。女性には妊娠痕があることも多く、地位を継承する子供を産んでいた可能性が高いらしい。

なぜ古墳後期に女性の首長が減ったかと言えば、韓半島との軍事的緊張が高まったから。軍事権を持つ男性首長が増えたが、女性は集落では一定の地位を占め続けた。栃木県の甲塚古墳は女性の埴輪が中心部分にあり、ずらりと展示されていた。女性が機を織ったり、頭に容器を持ったり。男性は盾を持ったり、馬を引いたり。

7世紀末に律令国家体制が本格化するまでは、戸籍などの文書や石碑は親の双方の家族を重んじ、男女を同等に書いていた。それが8世紀になると父系系譜に代わる。豪族も男女で異なる政治的役割を持ち、成人男子を対象とした徴兵制度が始まる。「社会の全成員を「男」と「女」に二分し、異なる役割を定める制度は、歴史の産物にほかならない。そのことを七世紀末から八世紀初めの変化ははっきりと教えてくれる」

「律令国家は中国式の男性中心の官僚組織を作りあげ、貴族男性に対しては、原則として官に仕えることを求めた。一方で、貴族女性に対しては、一つの氏族から一人の宮仕えというしくみを導入した。しかし、わが国の古代社会では、朝廷から村々にいたるまで、マツリゴトの場で女性も尊重され、リーダーシップを発揮した」

このあたりの引用は珍しく買ったカタログの文章からだが、読んでいると興味は尽きない。12月6日までの必見の展覧会である。

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