『粛清裁判』に考える
小林正樹監督の『東京裁判』のようなアーカイブ映像を使った映画は基本的に大好きだ。かつて別の目的で撮られた映像が、時間がたつととんでもない見え方をするから。だから当然のごとく、ロシアのセルゲイ・ロズニッツァ監督のドキュメンタリー『粛清裁判』を見た。
最初は期待したほど面白くなかった。1930年、9人の科学者が「産業党」事件の政治犯として裁判にかけられるが、冒頭で全員が容疑を認めるからだ。これでは裁判劇にならない。それが終わると各自が自分の罪を述べる。みんな淡々と語るが、聞いていて何がいけないのかわからない。あえて言えば、フランスの科学者と連絡を取ったとかそういうことか。
いずれにしても全員が反政府勢力だったとさらりと言う。みんな教授で学部長や研究所長や政府の科学者会議の委員も兼ねていて、実にいい顔をしている。彼らの別格な感じに比べると、その場に何千人といる聴衆はもちろん、裁判官たちさえ野蛮に見える。このあたりから、この人たちは「言え」と言われた内容を話しているだけだと気がつく。
そうやって見ると、とんでもない茶番に見えてくる。最後には全員一言を述べるが、みんなが口を揃えたように、もし生き延びたら余生は国のために忠実に働くようなことを言う。感情は一切こもっていないが、一応真面目に話す。裁判の合間に、町中で「彼らは銃殺だ」という民衆のデモが何度も写る。おそらく何十万人という人が繰り出し、狂ったように大声で叫びたてる。
判決は6人が銃殺と全財産没収で、3人が10年の自由剥奪、隔離、全財産没収。聞いていた聴衆も外の無数の人々も一斉に歓喜の声を挙げる。被告たちは無表情。映画は終わり、彼らのその後の事実が文字で出てくる。銃殺刑になった者は後に(約束通りか)懲役10年に減刑され、多くは秘密警察で働く。その後銃殺された者も釈放された者もいるが、戦後まで生きたのは一人だけ。
裁判官側も裁判長などは戦後も生き延びるが、検事は1938年に銃殺される。それからもともと「産業党」事件自体が存在せず、でっち上げに過ぎなかったことが語られる。
見ながら思ったのは、日本学術会議のことだ。日本を代表する学者たちが突然政府に選別され、大衆は「いらない」と大喜び。日本では委員の任命レベルの問題だが、政府に逆らう一流の学者はいつの日か冤罪事件の濡れ衣を着せられないとも限らない。
見終わって、分厚いパンフ(1400円!)を買ったら、これは実際の裁判の後に本物の裁判官や被告を使って映画用に演じさせたものを撮影したと知った。大衆などは別のアーカイブ映像を組み合わせている。学者たちの落ち着いた無表情は、二重の茶番劇を演じることから来たものだろう。それにしても(だからこそ)、一見の価値あり。
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