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2020年12月 1日 (火)

高橋源一郎著『たのしい知識』についてもう一度

「たのしい知識」という題名は、どこから来るのか。映画好きならばジャン=リュック・ゴダールの『たのしい知識』(1969)Le gai savoirを思い浮かべるかもしれない。哲学に詳しければ、ニーチェの『悦ばしき知識』(翻訳によっては『愉しい学問』や『華やぐ智慧』など)に行くだろう。

そういえば、昔、『GS たのしい知識』という分厚い雑誌があった。ネットで調べると、1984年から88年まで季刊で出ていたが、浅田彰氏や四方田犬彦氏が中心になっていた印象がある。いわゆる「ネオアカ」時代の難解な雑誌で、これを「たのしい」という人々はさぞ頭がいいのだろうと思っていた。

それから30年以上たった高橋源一郎氏の『たのしい知識』は、およそ肩の力の抜けた軽いエッセーで、雑誌『GS たのしい知識』のような「哲学」的な内容はない。あくまで普通の人にわかる言葉で書かれている。

先日書いたのは「記憶」についてだったが、それがいつの間にか、記憶の総体としての人間存在の持つ「あいだ」の話になった。それは知識や常識を超えたもので、それを教えるのが大学であるというのが、高橋氏が引用した加藤典洋氏の本に書かれているようだ。

「世間や社会とは異なった価値観が生き延びる場所がなければならない。この社会が生き続けていくためには。だからその場所は、社会にとって「すき間」になる。/稠密な社会という空間の中に、ぽっかり空いた「穴」のような場所。そこだけはちがった物質でできた世界」

これが大学の意味だとしたら、私にはしっくり来る。21世紀になってからの大学にもっと実学をという経団連を中心とした政財界の動きも、最近の日本学術会議会員の任命拒否の問題も、この「すき間」を埋めようという動きだと考えればよくわかる。

「記憶」の話が「あいだ」や「すき間」をめぐる大学の話になり、次は孔子やソクラテスの話になる。彼らの教えていた場が「すき間」ということのようだがここはちょっと難しいので飛ばすと、次は「韓国・朝鮮」の話になった。

「「韓国・朝鮮」ということばを使っている。「韓国」だけでは正確ではないように思えたからだ。「朝鮮」というだけでも」「この「韓国・朝鮮」ということば、あるいはそれに含まれるものに対して、冷たい視線を感じるものが多い。それから憎しみ」

そうして高橋氏は「韓国・朝鮮」について知るために、茨木のり子さんの『ハングルへの旅』(1989)を読む。この詩人は名前しか知らなかったので、私はさっそくネットで注文した。(大学の映画の授業のために)アマゾンプライムの会員になったので、翌朝にはその文庫本が届いた。これが抜群におもしろい。次はこの本について書く。

 

 

 

 

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