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2020年12月21日 (月)

石岡瑛子展に考える

東京都現代美術館で2月14日まで開催の「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」展を見た。実は見るのを躊躇していたが、映画の衣装の仕事も何本かある人なので、見ておこうと思った。

なぜ行くのを迷ったかと言えば、あまり私とは相性がよくない気がしたから。ポール・シュレイダーの映画『MISHIMA』は1985年のカンヌで見たが(日本では未亡人の反対で未公開)、エキゾチックな日本趣味が嫌だと思ったし、とりわけキンキラキンの金閣寺が2つに割れるシーンに絶句した。あとであの金閣寺を作ったのが石岡瑛子だと知った。

あるいはフランシス・フォード・コッポラの映画『ドラキュラ』(1992)も、石岡瑛子のどぎつい衣装に閉口した。さらにニューヨークで1988年に見た芝居『M.バタフライ』のいかにも東洋を売り物にした舞台美術や衣装が好きでなかった。たぶん私は西洋人向けに作られた日本趣味や東洋趣味が苦手なのだろう。

さてこの展覧会で最初に出てくるのは、彼女が1961年に入社した資生堂やパルコのポスターだ。最初に有名になった資生堂の「太陽に愛されよう」という言葉を使った化粧品ポスター(1966年)は、日本の宣伝で初めての海外ロケ(ハワイ)だったという。肌のこんがり焼けた前田美波里が、まるでカリブ系のモデルのように濃い顔で海岸にいる。

この時代に日本人を外国人(それもカリブかアラブか)のように使ったポスターは新しかったろうと思う。彼女の黒人好き、アフリカ好きは続き、パルコのポスターには「ああ、原点」として砂漠の遊牧民を使ったり、「鶯は誰にも媚びずホーホケキョ」として黒人モデルにお洒落なファッションを着せたり。

同じパルコの「西洋は東洋を着こなせるか」は、東洋風の白いマントを着た白人女性の下に、真っ赤な胸までのスカートを履いたアジアの少女が京劇風のメイクで2人並ぶ。つまりは、西洋の目に写るアフリカやアジアのエキゾチズムを新しいものとして日本人に提示した。まるで日本人にそういう(植民地的)視点がカッコいいのよと言わんばかりに。

さすがに80年代になると日本もかなり豊かになって、ウディ・アレンに和服を着せる「おいしい生活」のような西洋を対等と見る広告がはやる。彼女は海外に出て、日本やアジアのオリエンタリズムを強調した衣装で受け入れられる。『MISHIMA』や『ドラキュラ』などの映画から、北京オリンピックのチャン・イーモーによる開会式の衣装やオペラ『ニーベルンゲンの指輪』の衣装まで。

会場に彼女のだみ声のようなインタビューが鳴り響いているのも気になった。日本の高度成長期を支えたデザイナーの励ましの声は、観客のほとんどを占めた若い人々にどう聞こえただろうか。20世紀後半に日本のデザイナーが海外に出てゆく一つの典型的な形として、興味深い展覧会だった。

 

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文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

私は ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)で SURVIVE - EIKO ISHIOKA
を拝見したんですが、こちらでもやはり彼女の「独白」が流れていました。

投稿: onscreen | 2020年12月23日 (水) 07時25分

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