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2020年12月 9日 (水)

飛んだ封筒の話

もともと私は注意散漫でいつの別のことを考えながら行動しているから、よくモノをなくす。置き忘れたり、道で落としたり。マフラーや手袋やハンカチやポケットチーフはいくつも無くしたし、買ったはずのDVDが出てこなくて2つ買ったことも何度かある(後から出てくる)。

先日、コートに封筒を入れて出かけた。マンションの玄関から50メートルほどのポストに投函するためだった。ところが玄関を出たところで、封筒がなくなっているのに気がついた。そこで自宅までゆっくり戻ってみた。

たまたまエレベーターを使わなかったので、階段を5階まで登って自宅に着いた。確かに机の上の封筒を手に取った記憶はある。部屋のどこにも封筒はない。また家を出て、同じ階段を歩く。あちこちを見たが見当たらない。2度目はさらにゆっくりと見ながら歩いた。3度目、周囲まで見ながら往復したら見つかった。

封筒は1階の廊下の1メートルほど先の植栽の中に落ちていた。おそらくコートからマフラーを取り出した時に飛んだようだ。その時何を考えていたか忘れたが、いずれにしても気がつかなかった。飛んで落ちた封筒を見つけた時に、忽然とある思い出が蘇った。

小学1、2年生の頃だと思う。母は私に豆腐を買ってきてと100円札(玉ではない)を渡した。私はそれを買物籠に入れて、八百屋さんに出かけた。かつては九州の田舎にはイグサを編んだような買い物カゴがどの家にもいくつかあって、今考えると「エコ」を実践していた。

さてその頃豆腐は水に浸かったものをビニール袋に取ってもらったが、お金を出そうとすると買物籠になかった。「お金はあとでよか」と言われてそのまま家に帰った。すると「買物籠をバカのごと振ったやろ」と母に叱られて、「もう1回探して来んね」と言われた。

私はとぼとぼと八百屋さんへの道を歩いた。あちこちを見ながら同じ道を歩くがどこにもない。八百屋は300メートルほど先ですぐに着く。そこからまた家に帰る。家の前に立つと、母に叱られるのが嫌でまた八百屋に戻る。たぶん10往復くらいしながら、いつの間にか泣いていた。

そこへお金を持った母がやってきて「もうよか、よか」と言って一緒に八百屋に行ってお金を払ってくれた。それだけの話だけれど、飛んだ100円札のイメージは長く焼き付いた。入れ物はむやみに振ると軽いものは飛び出す、という当たり前のことを学んだ。

それから50年ほどたって、封筒は私のコートから飛び出し、ふわりと1メートル飛んだ。しかし3回の往復で封筒は見つかった。それでもコートのポケットに気をつけよう、としばらくは思うだろう。今日はそれだけの話。

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