私は何になりたかったのか
先日、映画館で予告編を見ていてふと「自分は何になりたかったのか」と考えた。どの映画の予告だったかわからないが、それを考え出すとどうも止まらない。家に帰っても考えているが、年末でもあるので少し掘り下げてみた。
私は小さい頃にたぶん「将来の夢」というものがなかった。小学校低学年の頃、父親は会社の社長だったので自分もそうなると思っていたが、それがつぶれてしまったのでどうしようかと思った記憶はある。
小学6年生の時に文集で自分の夢を書くことになった。私は姉の1人に相談し、「商社マンがいい」と言ったので「商社マンになって日本の発展に役立ちたい」と書いた。1970年代前半で高度成長期らしいとも言えるが、何と夢のないことだろう。「日本の発展」という国家意識も今考えると、いかにも田舎の子供らしい。
小学校高学年から中学にかけては、父の勧めもあって剣道ばかりしていた。中学生の時はとりあえず「全国大会に行くこと」が夢だったはずだが、早々と県予選で負けてしまった。3年生の夏休みに父親は急に塾に行けと言い出し、そのまま私立の進学校に進んだ。そこは医学部のある私大の付属校で、医者志望が半分近くいた。
私は理系は無理だし医者は嫌なので、とりあえず「東大法学部」を目指すことに決めた。なんとなく「弁護士はカッコ良さそう」と文系の友人と語っていた。実際、その時の同級生の少なくとも3人は弁護士になった。私は病気をして本ばかり読むようになり、「文学者になりたい」と思った。自然に湧いた夢としては最初のものかもしれない。
「文学者」になるにはフランス文学が良さそうに思えたので(大江健三郎が念頭にあったか)、大学の専攻で選んでフランスに留学した。それからはいつの間にか映画三昧になり、とにかく映画関係の仕事がしたいと思って帰国した。一番カッコ良さそうな「シネセゾン」に入るために西武百貨店を受けて内定をもらったが、行かなかった。それから大学院に行って1年映画を学んだが、中退して働き始めた。
もちろん商社マンにも弁護士にもならず、「文学者」にもなっていない。時々雑文を書くが「文学」からは程遠い。そうして来年には還暦になる。なんという夢のない人生だろうかとも思うが、好きな映画を見て暮らせるからまあいいか。みんな僕の世代は子供の時の夢はあったのだろうか、そしてかなえたのだろうか。
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