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2020年12月17日 (木)

学生映画祭も10年目:その(3)『ラストエンペラー』と『天安門、恋人たち』

学生にはいつも映画はスクリーンで見ないとダメだと言っているが、自分自身も最近は配信で見ることが増えた。とくにコロナ禍で授業で学生が集まって見ることもできない。そんな時に映画祭で大きなスクリーンで立て続けに見ると、やはり違うなと思う。

とりわけ驚いたのは、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』(1987)。2年前に出たブルーレイを見ていたが、劇場用のDCPで見てその映像と音の艶に酔いしれた。どの場面も心地よく、吸い込まれてしまう。実は大学からの電話で2度も退席したけれど、十分に楽しんだ。

冒頭の1950年のハルピン駅で溥儀が自殺しようとして腕から洗面台に血が溢れるシーンから、1967年に文化大革命で大きな赤い旗を振り回して踊る紅衛兵たちまで、真っ赤な紫禁城を始めとして赤を基調とした豪華絢爛な映像がこれでもかと続く。

自分の中では同じベルトルッチ監督の『1900年』と似たイメージだったが、こちらの方が何倍も「細工」が多い。9500着と言われた衣装もそうだが、そもそもこの映画は回想形式で1950年代に日本への協力者として投獄された溥儀の回想という形で、過去と現在を行き来する。1900年から1945年まで直線的に進む『1900年』とは大きく異なる。

モノトーンな収容所から過去に遡るたびに、紫禁城の中の華やかな世界が広がる。1908年に溥儀は2歳で皇帝になる。映画では中盤からのジョン・ローンも含めて4人が溥儀を演じる。成長するごとに新たな世界を知り、自己主張を始める感じが見ていて気持ちいい。

ジョン・ローンが演じ始めると、そこに寂しさが漂う。溥儀は紫禁城を追い出されて天津に行くが、結局日本軍を頼るしかない。坂本龍一演じる甘粕を何度も睨みつけるが、彼の実権はどんどんなくなってゆく。後半はその喪失感が画面を覆い、見ていて胸が詰まる。

喪失感と言えば、ロウ・イエの『天安門、恋人たち』(2006)もまた、80年代後半の大学生たちのその後の10年の「喪失感」を描く。DVDで見た時は題名の割には天安門事件がないと思った。原題は「頤和園」で英語題のSummer Palaceと同じく天安門の文字がないのは検閲を考えると当然だが、今回スクリーンで見たら明らかに天安門事件後の大いなる「喪失感」を描いたものだった。

何度も出てくる激しいセックス場面は特にそうだが、画面は全体に暗い。しかしスクリーンで見ると、闇の中でうごめき、悩みながら生きる若者たちの姿が迫ってくる。映画は1987年から2001年までを描く。北京の大学に入ったユー・ホンは恋人のチョウ・ウェイと出会う。89年夏の天安門事件後、ユー・ホンは大学を辞めて故郷に帰り、友人たちはベルリンに行く。

それからユー・ホンの放浪が始まる。深圳に行ったり、重慶に行ったり。チョウ・ウェイはベルリンへ行くが、2001年に帰って来てユー・ホンと再会する。終盤、ユー・ホンの表情や仕草を見ていると、胸が詰まる。『天安門、恋人たち』は35㎜だが、当時当たらなくてあまり上映されなかったのか、プリントの状態が極めていい。

映画祭「中国を知る」では、『天安門、恋人たち』は今日、『ラストエンペラー』は明日の上映。

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