「舟越桂」展を見て
渋谷区立松濤美術館で始まったばかりの「舟越桂 私の中にある泉」展を見た。正確に言うと、私としては珍しくオープニングの内覧会に出かけた。私には通常この美術館からは招待状は来ないので、既知の舟越さんが手配されたに違いない。ならば行かねばと思った。
舟越桂さんとは、1989年のサンパウロ・ビエンナーレの日本代表の1人として参加された時に最初に勤務した国際交流基金の担当者として知り合った。彼の作品を日本から送り出し、コミッショナーの酒井忠康氏とほかの出品作家(10年近く前に亡くなられた神山明さんと若江漢字さん)と共にサンパウロに行って展示作業をした。
といっても働き始めて1年半しかたっていなかったので、何もできなかった。さぞ迷惑をかけたと思う。その後は画廊のオープニングやグループ展のオープニングで会っていたが、次第に年賀状だけのやり取りになった。その後東京都現代美術館や東京都庭園美術館での大きな個展の時には、もはや遠い存在だった。
だから招待状をもらったのが嬉しくて出かけた。さすがにコロナ禍でオープニングは入場時間が1時間おきに指定されていた。行ってみると入口には彼の代わりにモニター映像があり「今日はオープニングなのに立ち会えなくて申し訳ございません」と話していた。確かに美術館の学芸員など私の何倍も親しい人は多いだろうから、みんなが彼に挨拶をしたらたまらない。
彼の素敵な笑顔を直接見られなかったのは残念だったが、映像では真っ白の髪で驚いた。考えてみたら、私よりちょうど一回り上なので当たり前だが、いつも少年のような彼の瞳は変わっていなかった。
さて今回の個展は、松濤美術館という現美や庭園美に比べてずっと小さな空間をうまく生かしたものだった。副題の「私の中にある泉」が表すように、全体を振り返るのではなく彼の原点に焦点を当てている。一番驚いたのは《妻の肖像》という1976年のデッサンと79-80年の彫刻で、まだ舟越さんのトレードマークの大理石の目はない。
裸の上半身だが、ほっそりしてその表情がどこか日本人離れしている。情熱と抑制がほどよくクールに均衡を保っている感じが後の彼の彫刻を思わせる。そういえば、昔どこかのオープニングで「奥様はいらっしゃないんですか」と無遠慮に聞いたことがある。彼の返事は「派手な場所が苦手なので」
今回の展示の終わりには家族の作品も少しだけ展示されている。有名な彫刻家であるお父さんの舟越保武のデッサンに、弟の直木さんのドローイング、さらに母上の道子さんの作品まであった。さらに舟越さんが作った人形やおもちゃもある。それらが全体の展示と切れ目なく繋がっていて、いい展覧会だと思った。1月31日まで。
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