『本気のしるし』をようやく見る
深田晃司監督の『本気のしるし 劇場版』をようやく映画館で見た。去年の「開催されなかったカンヌ」でオフィシャル・セレクションに選ばれていたが、10月の公開時に時間が合わずに見過ごしていた。最近また東京で上映があり、監督本人からのBCCメールで慌てて見に行った。
深田晃司監督の『本気のしるし 劇場版』をようやく映画館で見た。去年の「開催されなかったカンヌ」でオフィシャル・セレクションに選ばれていたが、10月の公開時に時間が合わずに見過ごしていた。最近また東京で上映があり、監督本人からのBCCメールで慌てて見に行った。
国立映画アーカイブで「1980年代日本映画ー試行と再生」が2月16日から始まる。そのことを知った時は「そうか、80年代も歴史なんだなあ」と思ったくらいだが、チラシを手にしてなぜか「恥ずかしい」と思った。
また国立映画アーカイブの「中国映画の展開」に行った。見たのは費穆監督の『田舎町の春』(1948)で原題は『小城之春』。田壮壮監督のリメイク『春の惑い』(2002)で有名な映画で、前から見たかった。
3年前に三上智恵・大宅英代共同監督のドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』を見てびっくりしたが、その映画撮影後のインタビューや調査を加えたのが三上智恵著『証言 沖縄スパイ戦争』。750ページの分厚い新書を読んで、またまた仰天した。
マーティン・ロセテ監督の『43年後のアイ・ラヴ・ユー』を見た。まず予告編でなぜかしら身につまされて「ダサくても見たい」と思った。それから「朝日」で石飛徳樹記者がこの映画を褒めて「年を取るのは必ずしも悪いことではない」と宣言していたから。
九州の実家に日帰りで行った。母の3周忌、父の33周忌というので、東京から福岡へと「緊急事態宣言」下の2都市を飛行機で往復した。これが思いのほか楽しかった。考えてみたら1年以上飛行機に乗っていなかった。
最近中国にハマっていることもあり、2月11日公開の中国映画『春江水暖~しゅんこうすいだん~』を試写で見た。グー・シャオガン監督の第一回長編だが、カンヌの批評家週間でクロージング、東京フィルメックスで審査員特別賞、仏「カイエ・デュ・シネマ」誌の2020ベストテンで7位。
岩本憲児著『黒澤明の映画 喧々囂々ーー同時代批評を読む』を読んだ。著者は大学院で私が1年間だけ学んだ先生だが、その後も長年にわたり親しくしていただいている。彼は数年前に大学を定年で辞めて余裕ができたのか、最近になって続々と本を出している。
最近、中国にハマっている。きっかけは明らかで去年4月から大学院で中国人数名を教え始めたことと、3年生が「中国を知る」映画祭を企画したこと。それに加えて、国立映画アーカイブでは山口淑子=李香蘭特集に続き、中国映画特集をやっている。
私がマイナンバーカードを入手したのは去年の初夏だと思う。コロナ禍で全国民に10万円を支給するというので、この機会にと思った。さらに次にマイナポイントで5千円配るという。私は8月末にはその金額をパスモにもらえるように、四苦八苦して結び付けた。
ポーランド映画『聖なる犯罪者』を劇場で見て驚いた。ポーランドの田舎の実に地味な話なのだが、115分画面に吸い付けられるように見た。監督はこれが3作目というヤン・コマサだが、これまで見たことがない。
イタリア年の準備の頃を思い出すと止まらくなったので、もう少し書く。2000年のベネチア映画祭では、前年と違って歓待を受けた。それは着いた翌日に、新作映画祭を担当する新設フィルミタリアのルチアーナ・カステッリーナ理事長との夕食会から始まった。
国立映画アーカイブにまた行ってしまった。「中国映画の展開」で見たのは、田壮壮監督の長編デビュー作『狩り場の掟』だが、いろいろな意味で唖然とした。この監督は『青い凧』が中国で上映が禁止されたにもかかわらず1993年の東京国際映画祭ではグランプリを取ってしまい、話題になった。
2001年の「日本におけるイタリア年」は、1999年の1月頃にイタリア大使館から提案されたと記憶している。各新聞社の文化事業部の部長クラスを呼び出して、「お金を出すから企画を考えてくれ」というものだった。私は映画の企画を2本出したが、同僚はフェニーチェ歌劇場の初来日公演とかポンペイ展とかカラヴァッジョ展などを提案した。
1月29日公開のエリア・スレイマン監督『天国に違いない』を試写で見た。このパレスチナの監督の映画を見るのは『D.I』(2002年)以来で、この時はフランス映画社の配給なので気合を入れて見たが、正直よくわからなかった記憶がある。
先日、作家の半藤一利さんが90歳で亡くなられた。あの長身で明るくかくしゃくとしたお姿を、1度だけ間近に見たことがある。2017年12月の学生企画の映画祭「映画と天皇」の時で、岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』(1967)の上映後に、原作者としてトークをしてもらった。
キム・チョヒ監督の『チャンシルさんは福が多いね』を劇場で見た。去年の『はちどり』や『82年生まれ、キム・ジヨン』と同じく、韓国女性の第一回監督作品というので興味を持った。その2作ほどのインパクトはないが、なかなか洒落た作品だった。
東京国立近代美術館の「眠り展」の後に、常設展を駆け足で見た。私にとってはここは日本の美術館の常設展で一番楽しい。国立西洋美術館はやはり西洋美術史を見るのは物足りないし、東京国立博物館は大きすぎるし範囲も膨大。東近美は日本の20世紀美術を一望するのにちょうどいい規模。
国立映画アーカイブの「中国映画の発展」で、孫瑜監督の『大いなる路』(1935)を見た。これまた中国映画史で必ず出てくる作品だが、これまで見ていなかったと思う(たぶん)。いわゆるサウンド版だが、隠された抗日意識の表象と同時にその裸体の表現に驚いた。
竹橋の東京国立近代美術館で2月23日まで開催の「眠り展:アートと生きること」を見た。2015年にそこで見た「No Museum, No Lifeーこれからの美術館事典」が抜群におもしろかったが、今回も同じく国立5館の所蔵品からなるテーマ展という。
正月明けの気分転換と思ってパティ・ジェンキンス監督『ワンダーウーマン1984』を見た。実は前作を見ていないが、そんなことは私にはよくある。女性監督の女性を中心とした映画だし、主人公がスミソニアン博物館勤務というのも気になった。
コロナ禍で変わったことは多いが、自分の健康や体調に関していえば飲み会が減ったせいでむしろ調子はいい。私は栄養も十分に取り、身体も動かしているので免疫力が強く、まず陽性にはならない気がしていた。その根拠のない自信が最近揺らいだ。
国立映画アーカイブの「中国映画の展開」で馬徐維邦監督の『深夜の歌声』(1937)を見た。戦前の中国映画の傑作として名高く、たぶん竹橋時代のフィルムセンターで見た記憶があるが、さっぱり忘れていた。中国人留学生に聞くとやはり「すごく有名です」と言う。
東京駅に行ったついでに久しぶりにステーションギャラリーに行った。2月7日までの「河鍋暁斎の底力」展を見るためだが、この展覧会は下絵しか展示しないというのに興味を持った。あれほど画力のある画家の下絵はどんなものだろうかと思った。
たぶん生まれて初めて題名もスタッフもキャストも知らないままに映画を見た。公開日も決まっていなかったが、ずいぶんたって1月29日公開の『花束みたいな恋をした』だったとわかった。なぜ見に行ったかと言えば、ほんの少しだけ制作に協力したので8月の初号試写に誘われた。
アーティゾン美術館で1月24日まで開催の「琳派と印象派」展を見た。「琳派」も「印象派」も人気がある。この2つの組み合わせはうまいなと思ったら、案の定、平日昼間でもかなり混んでいた。
私が新聞社時代に映画祭を企画していた時に、大きな節目が2つあった。1つは1995年の映画生誕百年で、もう1つは2001年の「日本におけるイタリア年」。それぞれ、フランスとイタリアの映画界と人脈を深めるきっかけとなった。
デヴィッド・フィンチャー監督の『Mankマンク』を劇場で見た。ネットフィリックスで公開中なのは知っていたがずっと前に解約していたし、『Roma ローマ』と同じく白黒の凝った映画のようなので映画館で見たいなと思っていた。ところがアニメ『フナン』を池袋に見に行ってその映画館でやっていることを知った。
年末に体のあちこちに傷をつけた。ここに書いたように、暗闇の映画館で金属のドアに頭をぶつけて額から血が出た。これはもう痛みはないが、傷跡は赤く見えるし、その部分が1ミリほど盛り上がっている。もう3週間になるが、一向に「原状回復」の気配がない。
ドゥニ・ドー監督のアニメ『FUNAN フナン』を劇場で見た。カンボジアのポル・ポト政権による虐殺については、最近ではリティ・パン監督がi何本も作っているが、ちょっとインテリ過ぎる。もう少し普通のものがないかと思っていたら、このアニメがあったので年末に見た。
『東京物語』、『飢餓海峡』、『支那の夜』などなど、年末に古い日本映画をたくさん見たせいか、新年なのにどうも頭の中が浮世離れしている。『東京物語』の尾道や山村聰の医院がある荒川の土手、『飢餓海峡』の青函連絡船や舞鶴、『支那の夜』の上海や蘇州などを思い浮かべている。
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