恥ずかしい「1980年代日本映画」
国立映画アーカイブで「1980年代日本映画ー試行と再生」が2月16日から始まる。そのことを知った時は「そうか、80年代も歴史なんだなあ」と思ったくらいだが、チラシを手にしてなぜか「恥ずかしい」と思った。
何が「恥ずかしい」のか。まずその商業主義が恥ずかしい。この特集では『犬神家の一族』が一番最初に載っている。1976年の映画だが80年代に一世を風靡した角川映画の第一弾ということで入れたのだろう。「角川商法」と言われ、テレビCMをバンバン流した『人間の証明』とか『野生の証明』とか『戦国自衛隊』とか(この3本は上映されない)、本当に当時は嫌で1本も見ていない。
同じように嫌だったのが『南極物語』(1983)。フジサンケイグループが映画に乗り出して大当たりした作品で全く見る気がしなかった。あるいは『鬼龍院花子の生涯』(82)は東映の映画だが、夏目雅子の「なめたらいかんぜよ」が流行したのを苦々しく思った記憶がある。
大作が嫌いな私が好きだったのは、例えば『泥の河』(81)や『陽炎座』(81)や『竜二』(83)や『十階のモスキート』(83)や『火まつり』(85)だったのだが、今思うとこれらの映画のアンチ精神が貧乏くさくて恥ずかしい。このうち『泥の河』だけは学生企画の映画祭で再見したが、今の私には「力作だが作りもの」に見えた。
『陽炎座』は福岡でテント上映を手伝ったが、『ツィゴイネルワイゼン』(80)が大好きで期待が大きかったので拍子抜けした。『火まつり』は最初に見たのが85年のカンヌで、フランス人が大絶賛するのが半分不思議だった。北大路欣也をはじめとする男たちの裸の尻が受けたのではないかと言った日本の評論家もいた。
裸といえば、当時、ポルノやピンクに新しい才能がいると言うのがツウな感じで、慌てて見に行ったのが『犯され志願』(82)や『神田川淫乱戦争』(83)や『宇野鴻一郎の濡れて打つ』。これは見に行くのが恥ずかしかったし、映画の良しあしよりも若いので見ると興奮してしまった。当時、宇野鴻一郎を本屋で立ち読みしたのも恥ずかしい。
80年代後半だと大学を卒業して働き始めたせいか、恥ずかしさはかなり減る。しかし『マルサの女』(87)の伊丹十三の才人ぶりもどこか恥ずかしいし、『帝都物語』(88)は見かけ倒しだった記憶がある。『私をスキーに連れて行って』(87)は見ていないが、当時はこの映画の存在自体を恥ずかしく思った。
結局、その後も見たいと思ったのは『ゆきゆきて、神軍』(87)『その男、凶暴につき』(89)や『ウンタマギルー』(89)くらいではないか。これらは2度目もおもしろかった。
1980年代、ことにその前半の映画は私にとっては見ていてもいなくても無意識に封印された存在だったことを、国立映画アーカイブのチラシを見ながら思った。今の大学でも一度も触れたことはない。しかし、今回の特集は怖いもの見たさで行きたい気がしてきた。
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