『黒澤明の映画』を読む
岩本憲児著『黒澤明の映画 喧々囂々ーー同時代批評を読む』を読んだ。著者は大学院で私が1年間だけ学んだ先生だが、その後も長年にわたり親しくしていただいている。彼は数年前に大学を定年で辞めて余裕ができたのか、最近になって続々と本を出している。
今回のポイントは「同時代批評を読む」、つまり黒澤映画の批評をまとめたもの。日本映画の古典的作品について、同時代の批評を読むというのは私がいつも2、3年の授業でやっている。新聞は大学の図書館経由で検索ができるし、あとは図書館で「キネマ旬報」をはじめとする雑誌を調べる。学生は自ら調べて、かつての批評がいかに自由だったかを知る。
だから最初は便利な本ができたなくらいの気分で読み始めた。ところが途中でその議論沸騰ぶりに驚いた。まさに題名の「喧々囂々」=けんけんごうごう。ほとんどの映画に絶賛と非難の両方が出るのだから「自由」などというレベルではない。よく黒澤明はこれに耐えて映画を作り続けたと思う。
この本のおもしろいところは、二極化した批評の両方をうまくまとめつつ、著者の考えをそっと加えたところだろう。基本的にはこの監督の偉大さを十分に認めながら時々鋭い「批評の批評」をしている。「批評」に対する著者の基本的な考えは時々ポロリと出てくる。
「黒澤作品に限らずどのような作品に対しても、多かれ少なかれ賛否両論があり、観客の理屈と感情の幅に応じた好き嫌いの気持ちが出てくるのは当然のことだろう。チャップリン映画のように世界中で親しまれた映画でさえ、短編を除く中編以降の作品にセンチメンタリズムとヒューマニズムの説教を見て嫌がる人もいるし、乾いた笑いと唐突なイメージの飛躍ゆえに、キートンのほうを高く評価する人も少なくない。ひとつの作品に対する賛否両論はどちらの言い分にも理由があるだろう。要するに、ひとつの作品のポジ面を肯定的に評価するか、ネガ面を否定的に評価するか、立場の相違ということになる」
当たり前といえば当たり前のことだが、黒澤に関してはその振れ幅が大きかった。ちなみに私は筆者の書く「中編以降のチャップリン」は苦手でキートンの方が好きだ。それから実を言うと黒澤明は長い間避けてきた。若い頃からあの大仰な演技や叫ぶようなセリフ、全編に漂う説教臭さ、武士の情けのような「上から目線」が嫌だった。
若い頃に10本ほど見て、多くは退屈したり寝たり。『生きる』などは心底、馬鹿馬鹿しいと思ったことさえある。彼の映画をきちんと見たのは、12年前に教え始めてから。とにかく映画史上の大監督だし、それ以上に学生、とりわけ留学生が好きだったから。そして私の中で少しずつ評価は高まっている。
さてこの本についてはまだ書いていないので、次の機会に。
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