『FUNAN フナン』の描くポル・ポト時代のカンボジア
ドゥニ・ドー監督のアニメ『FUNAN フナン』を劇場で見た。カンボジアのポル・ポト政権による虐殺については、最近ではリティ・パン監督がi何本も作っているが、ちょっとインテリ過ぎる。もう少し普通のものがないかと思っていたら、このアニメがあったので年末に見た。
2018年のアヌシー国際アニメ映画祭で『未来の未来』や『若おかみは小学生』を抑えてグランプリに輝いており、フランス、ベルギー、ルクセンブルグ、カンボジアの合作映画なので、どんなものかと興味があった。
始まった瞬間はちょっとがっかりした。日本のアニメに比べて絵が単純すぎるし、それより全員が流暢なフランス語を話す。本来ならばカンボジア(クメール)語のはずだが、たぶんフランスなどで公開するには仏語が必須だったのだろう。
最初は大家族の幸せな日々が写るが、1975年4月にラジオでクメール・ルージュのプノンペン制圧が報じられると、事態は一変する。プノンペン市民は強制的に農村に向かわされる。主人公のチョウは夫のクンや息子ソヴァンと歩くが、ある時ソヴァンがはぐれてしまう。それからは苦難の連続の日々が続く。
自動車は取り上げられ、食事はほとんど与えられない。仲間はどんどん倒れてゆくし、逃げようとすると殺される。ソヴァンは祖母と暮らしていたが、チョウとクンは何とか探し当てようと死にもの狂いで走り回る。その悲惨さに目が釘告げになった。
映画は彼らの厳しい日々に焦点を当てて、残酷なシーンもポル・ポトらの指導部の行動も出てこない。ひたすら耐えて歩き続ける人々と彼らを監視して迫害する末端の兵士たちを追い続ける。時おり、カンボジアの美しい光景が写ってほっとする。
映画が終わって、170万人から200万人が殺されたことや国外に50万人が亡命したことがクレジットで示される。そういえば、パリの空港でタクシーに乗って、感じがいい運転手はだいたいカンボジア人だった。聞くと、みんな同じような物語を語る。
70年代にすべてを捨ててフランスに来た。ルノーなどの自動車工場に10年以上勤めたが、解雇された。私の顔を見て「日本車や韓国車が現れたからね」とニヤリ。そしてタクシー運転手になって20年は働いているが、最近は故郷のカンボジアに時々帰る。老後はカンボジアで過ごしたい。
彼らはたぶんこの映画のような場面を生き伸びてきたのだと、今さらながら思った。彼らがこの映画を見たらどう思うだろうか。それにしても中国の文化大革命が終わった後に、それをさらに極端にし、残酷にした反都市、反インテリの暴力革命が日本から遠くない場所で起きたとは。私が中学生から高校生の頃で、当時は全く知らなかった。
題名の「フナン」は「扶南」で、カンボジアの古代国家を指すという。そんなことも知らなかった。
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