『嵐の夜』に驚く
国立映画アーカイブの中国特集で『嵐の夜』(1926年)に驚いた。この上映は現存する中国最初の映画『八百屋の恋』(1922)と同時上映だったが、わずか3年しか違わないのにその映画手法は断然に違っていた。
フランス映画で言えば、ゴーモン社の1900年代前半のアリス・ギィ作品と10年たったフイヤードの『ファントマ』シリーズくらいの差がある。つまりプリミティヴな「場面を見せる」初期映画から、一挙に物語を語るようになったというか。
張石川監督の『八百屋の恋』はおもしろい。八百屋の男が医者の娘を好きになるが、貧乏な医者には患者をたくさん連れてきたら娘と結婚させると言われる。八百屋はナイトクラブ(全夜倶楽部!)の階段に仕掛けをして、帰り客が転ぶように仕向ける。ケガをした客はみんなその医者の医院に行って、八百屋は無事結婚できた。
カメラはほぼ動かず、たまにバストショットが挟まれる以外はカット割りもなしで、舞台の上のように映画は進む。それでもおもしろいのは丸眼鏡の老医者も含めて、全員が喜劇調の顔と動作をしていることだ。
それに比べて『嵐の夜』は凝りに凝った不倫劇である。上海の作家の余家駒は体の調子が悪く、妻子を連れて田舎の友人の家に行く。そこでは優しい次女の玉清がいて彼らの世話をした。家駒の妻は退屈で上海に帰ってしまうが、家駒の兄である義兄と遊び始める。一方、玉清は家駒と娘を連れて森に行くのが楽しくて仕方がない。
家駒は体調が戻り、娘を連れて上海に帰り、小説を出版する。玉清は近くの金持ちの孫に結婚を迫られるが、家駒のことが忘れられず、上海まで行って郵便を出す。その手紙を読んだ家駒は玉清に会いに行くが、既に結婚式は始まっていた。家駒の妻は義兄と彼の郊外の別荘に行くが、結局夫と娘を思い出して踏み切れない。
結果として不倫は起きないが、終盤の鉄道や車を駆使して上海と田舎をつなぐダイナミックな場面転換に血沸き肉躍る。家駒は自宅から人力車に乗って上海駅に行き、列車に飛び乗って田舎に着く。彼の妻は義兄と車で郊外に行くが、結局逃げ出す。帰りは彼女が運転し、途中でエンコするとサッと手を挙げて若者の車を止めて同乗する。
意地悪な玉清の姉がいい。いつも食べてばかりいて小太りで、夜中に家駒の娘をあやしていた玉清を見ると、家駒とできていると言いふらす。家駒の兄の妻は夫を尻に敷き、彼が玉清と会って夜中の2時過ぎに帰宅すると、3日間外出を禁じる。
この映画は何と日本で2006年に衣笠貞之助監督の遺族から国立映画アーカイブに寄贈されたプリントに含まれていたという。衣笠が『十字路』(28)を持って欧州に行く途中に上海で見て、感心して買ったようだ。1925年の中国映画の傑作が最近になって日本で見つかったなんて劇的すぎる。去年デジタル復元をしてのお披露目だった。
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