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2021年2月 6日 (土)

『十字路』の同時代性

国立映画アーカイブの「中国映画の発展」で沈西苓監督『十字路』(1937)を見た。今回の特集ではほとんどの映画に「隠された政治的メッセージ」を感じたので、日華事変=日中戦争の年の映画だから期待していた。ところがこの作品にはあまり見えなかったが、その分世界の映画との同時代性を感じた。

むしろ思ったのはコメディと社会性の融合で、小津安二郎の『大学は出たけれど』(1929)や『生まれてはみたけれど』(32)のような感じだし、あるいは溝口健二の『都会交響曲』(29)のような傾向映画も思わせる。

冒頭のクレジットの背景に上海の高層ビルが無数に出てくる。そして大学を出たばかりの若者たちは仕事が見つからず、自殺しようとしたり、田舎に帰ろうとしたり。主人公の趙(趙丹)は運よく新聞社の校正係として職を得る。そして通勤時に知り合った芝瑛(白楊)と仲良くなろうとする。

実は芝瑛は恋人と別れて上海に出てきたばかりで、製糸工場に指導員として勤めながら貧乏下宿に住み、以前から上海に住む女友達と仲良く遊ぶ。実は隣の部屋にいるのは趙だったが、お互いにそれを知らず、薄い壁の反対側で互いに意地悪を繰り返す。例えば女が服を掛ける釘を差すと、反対側に釘が出て壁は揺れ、飾った写真は落ちる。まるでチャップリンだ。

趙の新聞社は夜の勤務なので、2人は下宿で顔を合わすことがない。趙は朝帰宅する時に乗る市内電車で、通勤する芝瑛に会うのが楽しみだ。女が落としたスカーフを追いかけて男はバスを飛び降りて取りに行き、スカーフを持ってまた走ってバスに乗るといったバスター・キートンばりの芸当をする。

趙は新聞社から「工場点描」という連載を頼まれて書き始める。彼は工場労働者のひどい待遇を書いて人気となる。さらに芝瑛にインタビューして「女工哀史」というシリーズに移る。芝瑛はその記者が隣の男と気がつき、趙に打ち明ける。

最後は、芝瑛の工場は閉鎖され趙は不況で新聞社を解雇されるが、何とか頑張って生きて行こうと仲間4人で上海の港を歩き出す。考えてみたらかなり社会的なメッセージが明確だ。それに加えたドタバタ喜劇ぶりを考えると、むしろフランク・キャプラの『オペラハット』(36)などに近い。

そういえば、芝瑛は夢で素敵な男性とキスをしたり、実際に趙とキスをする。唇がきちんと合わさった描写は当時の日本映画では無理だったのではないか。抗日運動の影は、あえて言えば芝瑛が自らを語る時に「上海事変のゴタゴタで」というくらいか。たぶん恋人が戦争で亡くなったのだろう。

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