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2021年3月 1日 (月)

『あのこは貴族』の意味

岨手由貴子監督の『あのこは貴族』を劇場で見た。新聞各紙の夕刊評でも大きく取り上げられていたし、予告編も気になったので期待して見に行った。期待通りなかなかおもしろかったが、見ながらどこかさめてもいた。

冒頭、榛原華子(門脇麦)がホテルでの家族の新年会に遅れてタクシーで着く。彼氏と別れたので連れてこなかったと言うと、母は外科医の夫の後を継ぐ男と結婚させるチャンスと大騒ぎ。祖母、父、姉たちもそれぞれ自分の意見を言う。30歳前で松濤に住む華子は見合いや紹介でさまざまな男性と会うが、ピンと来ない。そして義兄の紹介で会った弁護士の青木にときめく。ここまでが第一部。

第二部は時岡美紀(水原希子)が正月に富山の田舎に帰るシーンから始まる。慶応大に合格したが金が続かずに風俗で働き始めて大学を辞めてしまうが、客の紹介で仕事を見つけて何とか東京で生きてきたこれまでが語られる。彼女が大学を辞めてから付き合ったのが、青木だった。

第三部で華子は友人のバイオリニスト・逸子(石橋静河)の紹介で、美紀と会う。こうして「貴族」の娘と田舎から出てきた普通の娘の人生が交差して、それぞれが新しい方向に歩み出す。華子はドイツで暮らす逸子に影響を受け、美紀は富山の同級生の里英(山下リオ)が会社を起こすのを手伝う。

最初は金持ちと貧乏人のカリカチュアかなとも思う。東京の一流ホテルやカフェやバーが何度も写るので、日本の現代を写し取りたいのだなと。ところが第三部以降で4人の女性たちの生き方がだんだんリアルに見えてくる。とりわけただの無口なお嬢さんに見えた華子の変貌ぶりが気持ちいい。道路で騒ぐ若い娘に手を振ったり、美紀に偶然会って狭いマンションについて行ったり、どんどん軽快になる。

それに比べると男たちは含めて影が薄い。どの家族でも存在感があるのは母親だし、主演級の青木も結局のところは流されてゆくだけで本当のところは何を考えているのかわからない。それに比べて女たちは地に足がついており、30歳前後の4人の連帯は見ていて爽やかだ。

その意味で若手の女性監督が作った現代日本のフェミニズム映画だと思う。たぶんこの「現代日本」や「日本女性の新しい生き方」を見せようという監督の意志が先に立った分、映画としてはどこか物足りないものになった気もする。

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