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2021年2月12日 (金)

池波正太郎のバブル期の嘆き

池波正太郎の有名な『鬼平犯科帳』のような小説は全く読んでいないが、彼のエッセーは何冊か読んでいる。たまたま家の本棚の整理をしていたら、文庫の『ル・パスタン』があった。「ル・パスタン」はフランス語Le passe-tempsで、「暇つぶし」。この題名に惹かれた。

この本は読んだかどうか記憶がない。2、3の文章にかすかに記憶があるのは、「週刊文春」の1986年11月6日号から88年12月1日号までの連載をまとめたものなので、当時雑誌を読んだのではないか。時代的には私が大学院にいた時から働き始めた頃。

当時は「バブル」が徐々に広がりつつあった。やたらに高いフランス料理やイタリア料理の店がいくつもできたり、「ボージョレ・ヌーヴォー」が大きな話題になったり、地上げ屋が活躍したり。池波正太郎は63歳から65歳なので今の私より少し上なだけだが、ずいぶんお爺さんのような書きぶりだ。

この本がおもしろいのは、彼がバブル期の東京を嫌悪していること。銀座セゾン劇場で見たピーター・ブルック演出の『カルメンの悲劇』を絶賛する文章で、会場の銀座セゾン劇場を貶す。

「いかにも勝手が悪い高級志向の銀座セゾン劇場。薄っぺらなプログラムが千五百円で、だれも買わない。公園の野外劇場のようで客席から外へ出るにも、コートをあずけるにも、手洗いに行くのも一苦労だ。勘違いをして出来の悪いフランス料理そのものである。近年の日本の劇場建築はいずれも失敗しているが、セゾン劇場もその例に漏れない」

私も『カルメンの悲劇』を見たが、できたばかりのセゾン劇場は本当にかっこよかった記憶がある。当時はフランス料理に行き始めたので、銀座の『レカン』や『シェ・イノ』や『ドンピエール』に恐る恐る足を運んだ。この本で池波はフランスのボルドー近郊で安くておいしいレストランに行き、感激する。

「フランスの田園を旅するたびに、この国の底力を見せつけられたおもいがする。全国が東京化してしまった日本にくらべると、パリと田園とは別の国のような思いがするフランスなのだ。

これから先は知らぬが、フランスの地方は多種多様な形態を、いまも温存している。われわれの国も、かの東京オリンピックまでは、そうだったが、いまは何処へ行っても、せせこましく、いじましい日本になってしまった」

確か小林信彦も東京が住みやすかったのは1964年のオリンピックまでと書いていた。今また新しいオリンピックをやろうとする東京は、池波にはどう見えただろうか。このエッセーが書かれた頃に「遅れてきた青年」のように上京した私には、いまもどこかバブルの時代を否定できないでいる。

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