『水を抱く女』の「幻影」回帰
3月26日公開のクリスティアン・ペッツォルト監督『水を抱く女』を見た。ドイツの「ベルリン派」のこの監督は、かつて私が2005年から3年間やった「ドイツ映画祭」で紹介した監督のなかでほとんど唯一、その新作が毎回日本で公開されている。
ドイツ映画祭で見せたのは「幻影」(2005)と「イェラ」(07)だったが、その後『東ベルリンから来た女』(12)と『あの日のように抱きしめて』(14)『未来を乗り換えた男』(18)と次々と公開された。どれもかなり難しい映画なのに。
今回の『水を抱く女』はその近作3本にある歴史や政治への考察がなくなり、まるで「幻影」や「イェラ」のような純粋な愛と幻想の物語に戻った。その分、愛の強度は高い。そしていつもながら孤独な女の生き方が魅力的だ。
「イェラ」以降の3本でその女はニーナ・ホスが演じてきたが、『未来を乗り換えた男』からはパウラ・ベアになり、今回も主演ウンディーネを演じている。フランソワ・オゾンの『婚約者の友人』で忽然と出てきた女優だが、細身ながら自分の意志を頑なに貫く感じがニーナ・ホスとそっくり。
映画はベルリンに住むウンディーネが恋人に別れを告げられたところから唐突に始まる。しかしその直後に彼女はカフェの大きな水槽が壊れた事件をきっかけに、潜水作業員のクリストフと運命的に出会う。郊外に住むクリストフはベルリンに来ると彼女に会うが、ある時クリストフは湖で事故にあい、意識がもどらない。
これからはクリストフもウンディーネも生きているのか死んでいるのかわからなくなる。ウンディーネは「水の精」=仏語だと「オンディーヌ」のように見えてくる。かつての恋人の家に行ってプールに泳ぐ男を沈めたり、自ら湖に潜っていったり。
黒い革ジャンを着てジーンズで急いで無言で歩くウンディーネがいい。そして白いシャツと黒いジャケットに着替えて博物館でベルリンの建築ガイドをする姿もカッコいい。彼女の思い詰めた孤独な姿に、マルチェッロのオーボエ協奏曲をバッハが編曲したニ短調のピアノが何度か重なると生きる悲しみが増す。
始めのあたりでカフェで水槽が壊れた時から、音がするだけで何かが起こるようで怖くなる。男女の強い愛を幻影のように描いた秀作で、政治や歴史がない分、ペツォルトの世界が全開となった。ダイヤモンドに触れるような硬質の90分。
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