ジュゼッペ・ロトゥンノが亡くなった
イタリアの撮影監督、ジュゼッペ・ロトゥンノが亡くなった。昨朝の「朝日」にはAFP=時事電で訃報が載っていたが、代表作にヴィスコンティの『若者のすべて』や『山猫』がなくて、ジョン・ヒューストンの『天地創造』やボブ・フォッシーの『オール・ザット・ジャズ』があるのに拍子抜けした。
それはともかく、私はこの撮影監督に1度インタビューしたことがある。ひょっとすると、彼に会った日本人はあまりいないのではないか。インタビューをしたのは2004年に有楽町朝日ホールで開催した「ヴィスコンティ映画祭」のカタログのためだった。その時はほかに脚本家のスーゾ・チェッキ・ダミーコにも会っているから、今考えたらすごい。
なぜヴィスコンティ映画祭をやったかと言えば、2001年にフィルムセンターで「イタリア映画大回顧」を企画した後で、今は辞めたそこのある研究員に「もう古賀さんは企画を持ち込まないで欲しい。やりたければ朝日ホールで勝手にやってください」と言われたから。私はそれなら朝日ホールを満杯にしてやろうと、ヴィスコンティ映画祭を企画した。
ローマの国立アーカイブであるチネテーカ・ナツィオナーレから短編に至るまで借り、そこになかったオムニバス『華やかな魔女たち』はパリのシネマテークから借りたほか、国内の配給会社からも借りた。朝日ホールは中年女性を中心に連日満員で黒字になった。
ロトゥンノ氏にインタビューしたのは、チネテーカのあるチェントロ=国立映画学校だった。ローマでは国立のアーカイブと映画学校が同じ場所にあり、学生はいつでも古今東西の映画を見ることができる。当時79歳だった彼はチェントロの撮影科のトップとしてバリバリで教えていた。
会った時の印象は、ちょうど小津安二郎監督のカメラマンだった厚田雄春氏の印象(映画でしか見ていないが)に近い。どこか小僧風で腰をちょっと曲げた職人の感じといったらいいのか。「ヴィスコンティ映画祭」のカタログの裏表紙にミラノ大聖堂の前をヴィスコンティ監督とロトゥンノ氏が話しながら歩いている写真があるが、あの腰の低い感じだった。
彼はヴィスコンティと『若者のすべて』『山猫』『異邦人』など6本、フェリーニと『フェリーニのローマ』『アマルコルド』など6本がある。彼が有名になったのは『若者のすべて』だが、もともとチネチッタでスチールカメラマンだったロトゥンノ氏はロケハンでミラノの街の写真を大量に撮った。ミラノ出身のヴィスコンティは喜んで、写真を見ながら二人で長い間どんな場面にするか語ったと話した。
また『山猫』はシチリアなので、『若者のすべて』のミラノやG・R・アルドの下で撮影助手をした『夏の嵐』のヴェネチアのような北部とは空気が違う。北と南の光の違いを考えるために、美術館巡りをしてイタリア絵画の中の光の色調を研究したとも語っていた。
ヴィスコンティは撮影前にすべてを組織し、偶然を許さない。撮影もいつもカメラを覗きに来て確認した。彼とはいつも会っていたが、どこかに距離があった。フェリーニはとにかく思いつきで楽しい。遠慮はいらなかった。全く違う撮影現場だった。「ヴィスコンティ映画祭」のカタログに収録したインタビューを要約すると、そんなことを語っていた。
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