« 『世界で一番しあわせな食堂』を楽しむ | トップページ | 『藁にもすがる獣たち』にうなる »

2021年2月24日 (水)

なぜか読んだ『カフカ短編集』

自分の本棚にあった岩波文庫の池内紀編訳『カフカ短編集』をなぜか読んだ。奥付を見ると、私が買ったのは2018年6月5日発行の第56刷だからかなり最近のことだが、買った記憶さえもなかった。ふと読み始めたらこれが滅法おもしろかった。

読みながら、なぜかポルトガルの作家、フェルナンド・ペソアの文章を思い浮かべた。その絶対的な孤独感とか、シュールなユーモアとか、社会への不適合感とか。考えてみたら、2人とも1880年代生まれで第二次世界大戦の前にカフカは40歳、ペソアは47歳で早死にしている。

そして2人とも生前はほとんど作品を発表しておらず、有名になったのは死後。そのうえ、カフカはチェコのプラハ、ペソアはポルトガルのリスボンというヨーロッパの中心からは遠い都市で、どちらも会社員として暮らしていた。

ペソアの文章は哲学的な断章だが、カフカは小説を書く。この『短編集』には20篇が収録されているが、わずか2頁や3頁の驚異的に短い小説もある。こうなるとペソアの断章に近づく。例えば「私は橋だった」で始まる『橋』は2頁。

「私はまだ地図にも記されていない橋なのだ――だから待っていた。待つ以外に何ができる。一度かけられたら最後、落下することなしには橋はどこまでも橋でしかない」。そして旅人が現れて「そこでいそいで寝返りを打ったーーなんと、橋が寝返りを打つ!とたんに落下した」。ずっと待って、落下するだけの橋を主人公に書かれた小説がほかにあるだろうか。橋の人生を考えるとは。

『町の紋章』は3頁。「バベルの塔の建設は初めはかなり順調だった」で始まる。ところが将来は技術が進んで簡単にできるだろうと「人々は塔の建造よりも、塔の建造に従事する者たちの町造りにかかりきった」「しかも第二、第三と世代が下るうちに、天までとどく塔を建てることの無意味が知れ渡ってしまった。だが、そのうちにたがいに関係ができて、いまさら町を出てゆくわけにもいかないのだった」

これなどは往々にして社会は本末転倒に向かうという風刺的な寓話だから、まだわかりやすい。それでも強烈な人間不信がある。そもそもバベルの塔は、聖書だと人間が不遜にも天に届く塔を作ろうとしたから、神はいくつもの言語を使わせて人間を混乱させて立ち去らせたという話だった。それがここでは人間が怠惰で先送りするうちに意味を失うのだから、ずいぶん違う。

一番長い小説が『流刑地にて』で50頁を超すが、これは旅行者が死刑の機械が執行されるのに立ち会う話。人を殺す機械の記述を読んだら、私はかつて寺山修司が生きていた頃に見た彼の演劇に出てくる機械を思い出した。さて寺山はこの小説を読んでいたのだろうか。いやあ、この短編集はペソアと同じく何度でも読みたくなる。

|

« 『世界で一番しあわせな食堂』を楽しむ | トップページ | 『藁にもすがる獣たち』にうなる »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『世界で一番しあわせな食堂』を楽しむ | トップページ | 『藁にもすがる獣たち』にうなる »