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2021年2月13日 (土)

『木蘭従軍』のクィア性

国立映画アーカイブの「中国映画の展開」で『木蘭従軍』(卜万蒼監督、1939年)を見た。去年、実写版のディズニー映画『ムーラン』を配信で見たが、その原型の一つがこの作品だ。「木蘭」は中国語で「ムーラン」であり、もともとは中国の古い歌から来た物語のようだ。木蘭従軍とはムーランが軍隊に行くという意味になる。

『木蘭従軍』は、基本的には老いた父親に召集令状が来て、代わりに娘が男装して軍隊に行って活躍して帰ってくるという話である。この映画が作られた1939年以前にも既に数本の中国映画が作られているようだ。

1939年で上海の中国聯合影業公司の製作だから「借古諷今」、つまり歴史劇にかこつけて現代を描く風刺劇である。各国の租界の中で独自の道を切り開いていたゆえに「孤島映画」と言われた当時の上海の中国映画は、時代劇を連発しながら陰で日本との戦いを煽っていた。

この映画に関して言えば、木蘭が従軍するのは敵が攻めて来るので国境で戦うためである。実は味方にも敵に通じた裏切り者(=漢奸)がいて、敵の捕虜を使って元帥の判断を誤らせようする。これに反対するのが真の英雄・木蘭で、盟友の劉元度と共に元帥に敵陣調査を提案し、敵が迫っていることを報告する。

元帥は裏切り者のせいで命を落とすが、木蘭は敵が攻める前に城を空けて四方から敵を攻撃する奇策を立てて成功する。元帥は死ぬ直前に木蘭を元帥に任命する。木蘭は皇帝から呼ばれて副大臣を提案されるが、断って両親の待つ田舎に12年ぶりに帰る。

この映画のポイントは友人の元度が木蘭に忠誠を誓いながらいつの間にか愛を告白し、戦いが終わると木蘭に付いて田舎に行くことである。家に戻った木蘭は女性の格好に戻り、めでたく元度と結婚するのだが、それにしても元度が歌で愛を告白するのはまだ木蘭が男装の時である。

つまりは軍隊の男性同士の同性愛が描かれていることになる。木蘭も元度の愛の歌に対して歌で答えるが、その時の木蘭の表情は一挙に女性のようになり、あくまで男女の愛として捉えていることがわかる。まず男装があり、それから男性同士の愛があるが、一方は男女の愛と考えてもいるし、最後は結婚をする。これはまさに男女を超えたクィアの世界ではないか。

冒頭に木蘭が鳥を射落として村人を驚かせるシーンがあるが、鳥の部分はアニメである。敵との対決シーンもどちらかと言えば歌舞伎(京劇?)のような様式美ばかり見せて迫力はない。あくまで元度との愛がこの物語の中心であり、互いの愛の歌で盛り上がる。最近の『ムーラン』ではその部分よりも、両親への忠誠心やアクションが前面に出ていた。その意味で1939年のこの映画は興味深い。

この映画は日中戦争中に日本で公開された唯一の中国映画という。当時の日本の批評も読んでみたい。

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