『きみが死んだあとで』で監督が見せたかったもの
4月17日公開の代島治彦監督のドキュメンタリー『きみが死んだあとで』を見た。1967年10月8日に第一次羽田闘争で亡くなった山崎博昭をめぐるドキュメンタリーである。見ながら、1958年生まれの監督がなぜこの映画を撮ったのだろうかと考えていた。
代島監督は私より少し年上だが、私自身も学生運動は昔からなぜか好きだった。「遅れてきた青年」というか、自分があの時代にいたら先頭を切って走っていただろうなという意識がある。だからその世代の人々と話すのは好きだし、その時代を撮った映画も好んで見る。
映画は監督が山崎博昭の大きな写真を持って、彼が死んだ羽田の弁天橋に立つところから始まる。監督はその写真の山崎と同じように学生服を着こんでいる。それから彼の兄、そして彼が通った大阪の大手前高校の同級生たちが出てくる。
兄は弟が読んだ本が並ぶ本棚を見せる。ドストエフスキーもニーチェも平家物語もあった。そして羽田に行く時の鞄にはマルクスやレーニンや宇野弘蔵やキルケゴールなど10冊。高校の同級生たちは山崎と一緒に参加したマルクス主義研究会の様子を語る。後に作家になる三田誠広や詩人の佐々木幹郎もいるが、無名の者もただの70代ではない。
みんな個性的な風貌をして、自分の言葉でゆっくりと過去を語る。多くは背にたくさんの本が並んでいる。特にリーダーだった向千衣子と個人的に山崎と親しく追悼の辞を述べた島元恵子の2人の女性が印象に残った。普通の会社員は一人もいない。必ずしも全員が10.8の羽田闘争に参加した訳ではないが、みんなが山崎の死を心に刻んで今も生きている。
映画は200分なので途中で休憩が入る。前半は山崎の死までなので純粋な気持ちで見ていられるが、後半はその後だから話は広がるし内ゲバなども始まって悲しくなってくる。高校の同級生たちはだんだん運動から離れていったことを語る。そして東大全共闘の委員長だった山本義隆(大手前高校の8年先輩)と、「羽田10.8救援会」を夫と立ち上げてその後反原発運動に向かう水戸喜世子が前面に出てくる。
68年になり佐世保エンタープライズ闘争から東大闘争、70年代になって革マル派と中核派の内ゲバが始まり、連合赤軍へ向かう。謎の死を遂げた水戸の夫と子供2人の話も出てくる。最後に最近の山崎追悼の動きが出てくる。ベトナムでも展覧会が開かれた。もちろんベトナム戦争に反対した日本の学生運動をベトナムが評価するから。
正直なところ、前半をもう少し長くして終わっていた方がまとまりはよかった。それでもその後の動きまで監督は伝えたかったのだということは、見終わるとよくわかる。何より山崎について語る同級生たちの現在の顔がみな誇りに満ちて生き生きとしていて、その精神を引き継ぐ彼らが元気なことを見せたかったのだと思う。予備校講師で物理学者として有名な山本義隆より、よほど輝いて見えた。
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