『二重のまち』に考える
東北大震災から10年がたった。新聞やテレビでは特集が続く。そんななかで小森はるかと瀬尾夏美の共同監督による『二重のまち/交代地のうたを編む』を劇場で見た。小森はるかの映画は、これまでに被災地にカメラを向けた『息の跡』や『空に聞く』を見ていた。
被災地のいわゆる変人のタネ屋にカメラを向けた『息の跡』が抜群におもしろかった。『空に聞く』は出てくるのが普通の人の分楽しさは減ったが、災害FMを立ち上げた女性を通じて被災地の変化がしっかり感じ取れた。
さて今回の『二重のまち』でカメラを向けられるのは被災者ではない。どうも東京から来たような標準語を話す4人の若者たちだ。彼らが2031年の陸前高田についての文章を読みながら、同時に被災者の話を聞く姿が写る。
全く予備知識なしで見に行ったこともあって、最初は彼らのたどたどしい語りにイライラした。本当に何を言っているのかわからない。必死で身振り手振りまで使って話す彼らを、黒のバックでカメラはクールに見せる。その静寂さが妙に気になる。
だんだん彼らがカメラの前であるテキストを読まされていることや、被災者の話を聞いて再現していることがわかる。これは2週間のワークショップなのだとわかったのは、私の場合終盤になってから。
瀬尾夏美のテキストで「この町の下にもう一つの町がある」というフレーズが何度も繰り返される。これが題名にもなっているが、かつて人々が住んでいた場所に土を盛って高台にして新しい町ができていることを指す。実際にそういう段差のある街が何度も写る。2031年という近未来に設定されたテキストが、リアルに見えてくる。
若者たちは、見聞きしたことをうまく表現できずに焦る。最初は見ていて眠くなるが、だんだん彼らの姿が馴染んでくる。他人の経験を「伝える」ということは本来無理なのだ、しかしそれをすることが必要なのだと思い始めた時に映画は終わる。彼らがある種諦めた感じで街を歩き出す時に、遠くのマイクから「ふるさと」の歌が流れる。この監督らしい特別な瞬間だ。
この映画は『息の跡』ほどおもしろくない。あえてそのように作られたのだと見終わってわかった。次はどんな映画を作るのだろうか。
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