なぜか『海辺のカフカ』を読む
先日フランツ・カフカの短編集を読んだせいか、だいぶ前に買ってあった文庫本の村上春樹『海辺のカフカ』(2002)を読んだ。私はもともと村上春樹とは相性がよくない。大学に入った年に2作目の『1973年のピンボール』(1980)が芥川賞の候補になり、読んだのが初めてと思う。
当時は大江健三郎や中上健次に夢中だったので、「なんと軟弱な」「カッコばっかりつけて馬鹿馬鹿しい」と思った。ところが読むと何となく楽しかった。話がうまいと思った。彼をめぐっては、学生時代に2つの記憶がある。
一つは、理学部の同級生S君が文学部の掲示板に「映画スタッフ募集 『風の歌を聴け』が好きな女の子だといいな」と書いたら、私の当時の彼女がそれに応募したこと。そもそも私は気取ったS君が苦手だった。ちなみにある時偶然に気がついたが、彼は今は私と同じ大学の別の学部の教授になっている。
もう1つは大学院生の時にパリに行った時。『羊をめぐる冒険』(82)を読んでいたら、パリ在住の私の彼女(さっきと別の女性)の兄がやってきて馬鹿にされた。私は「退屈しのぎにはいいですよ」と言い訳をしたが。
それからずっと読んでいなかったが、読みだしたのは『1Q84』(09)から。単純に朝日新聞デジタル「論座」に書評を書いてくれと言われたからで、それからは『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(13)も短編集『女のいない男たち』(14)も『騎士団長殺し』(17)も読んでいる。「論座」はノーベル賞を取ったら書いてくれと言っていたので、取るわけないと思いつつも過去の小説は文庫で集めた。
『ねじまき鳥クロニクル』(94-95)全3冊は、『騎士団長殺し』と似ているという意見がネットに多かったので読んでみた。『騎士団長殺し』よりずっとおもしろいと思った。その時に買っていたのが『海辺のカフカ』全2冊で、今回カフカを読んだ後に何となく読み始めた。
例によっていくつかの物語を同時進行させる。「僕」は15歳で中野区野方の家から飛び出して高松に向かう。精神障害のあるナカタさんも野方に住むが、迷子の猫を探すうちにある男を殺害する。そしてヒッチハイクで高松に行く。ナカタさんは子供の頃、旧日本軍の毒薬で障害が起きたようだ。
「僕」は田村カフカと名乗り、私立図書館に住み着く。その館長の佐伯さんは母親を思わせる50代で「僕」と関係を持つ。その頃、彫刻家の父が殺されたニュースが流れ、警察は「僕」やナカタさんを捜索する。
これはかなりおもしろかった。最近の小説のせいか、アメリカ人のようなな生活をする主人公も出てこない。しかし出てくる女性がみんな美人で、出てくる男性と関係を持つというのはどうなのだろうか。そんなにうまくいくかい、と言いたくもなる。今なら男女差別でヤバいのではないか。続きは後日。
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