20年前はイタリア年だった:その(6)
2001年9月のベネチア映画祭についてはまだ書くことがあった。まずその年のベネチアには、コンペと別の若手・前衛部門(最近だと「オリゾンティ」だが、その年は「現在の映画」だった)の審査委員長として蓮實重彦さんが来ていた。
彼は夫人のシャンタルさんと一緒で、エクセルシオール・ホテルに陣取って毎日夫人と映画を見ていた。彼の部門ではジャック・ロジエの新作「フィフィ・マルタンガル」が出ていたので選ぶのかと思ったが、同じフランスのローラン・カンテの『タイム・アウト』が最優秀賞だった。この経緯について蓮實さんはどこかに書いていたが、思い出せない。
蓮實さんとは既に92年の「レンフィルム祭」に始まって95年の映画百年、96年のルノワール、2000年のポルトガル映画祭と仕事をしていたし、夫人とも会っていた。エクセルシオールホテルのビーチ・レストランで何度か昼食をしたが、ある夜石飛さんも入れておいしい夕食を食べることになった。
「ラ・ファヴォリータ」という私たちのホテルの方向にあるリド島唯一のミシュラン掲載レストランに行ったが、蓮實夫妻は前に来ておりシェフとも知り合いで仏語で注文している。私も一緒に仏語を話したので、石飛さんは「初めてで緊張したし、そのうえ半分は仏語!」
石飛さんにはもう1回「仏語飯」をつき合わせてしまった。ちょうどサン・マルコ広場に近いパラッツォ・グラッシでバルチュス展のオープニングがあった。日本でバルチュス展を構想していた私はパリ在住の飯山雅英氏と計らって、監修者のジェラール・レニエ氏及びバルチュス夫人の節子さんを昼食に招待した。バルチュスが亡くなった1年もたっていなかったはず。
石飛さんもバルチュス展でも記事を書けるからと誘ったが、その時は最初から最後まで完璧な「仏語飯」で申し訳なかったと思う。ホテル・モナコのテラス・レストランに節子さんは和服姿で現れ、前日の高波で少しテラスに水が来ると「キャッ」と叫び、隣の屈強な紳士が椅子ごと持ち上げたのを覚えている。彼女は食事の途中で急に「〇〇伯爵夫人とアポがある」と水上タクシーを呼んで去っていき、残された我々は唖然とした。
そんなこんなで映画はあまり覚えていない。今調べてみると、金獅子賞はミーラー・ナーイルの『モンスーン・ウェディング』だが見ていない。銀獅子賞のババク・パヤミの『一票のラブレター』は最終日の上映で、「何か取るらしい」とフランスの友人に聞いた私は見に行った記憶がある。エリック・ロメールの名誉賞受賞は石飛さんと見に行ったが、会場で写真を撮って叱られたのを覚えている。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 飛行機のトラブル(2026.09.07)
- 美術と映画をめぐって(2026.08.26)
- 本を売る(2026.08.20)
- 人生の僥倖(2026.08.09)
- いつの間にかイタリア映画の専門家に(2026.08.07)
「映画」カテゴリの記事
- 『赤い砂漠』の音と色の強度(2026.09.03)
- 『アニキ・ボボ』のドゥロ河(2026.08.30)
- 美術と映画をめぐって(2026.08.26)
- 岩下志麻『同志として妻として』を読む(2026.08.24)
- 『私の血に流れる血』の不可解な魅力(2026.08.18)


コメント