「電線絵画展」にびっくり
そのコンセプトに久しぶりにびっくりした展覧会を見た。練馬区立美術館で4月18日まで開催の「電線絵画展」のことで、チラシには「富士には電信柱もよく似合う」というキャッチコピーで小林清親の富士山の手前に電柱や電線が描かれた絵があった。
副題は「小林清親から山口晃まで」で、もともと明治初期に映画的な手法で版画を量産した小林清親は興味があった。そうでなくても「電線絵画」というコンセプトはおかしい。日本の風景には電線が多いために美観を損ねているというのは、とりわけ西洋帰りの日本人が言うことだ。私もそうだった。西洋かぶれの多い画家もそうかと思っていたら、実は絵に電線をたくさん描いていた。
電線が出てくるかという基準で絵を見たことはなかったが、この展覧会の150点近い出品作のほとんどは電線が見える絵だ。最初に出てくるのが1854年の桶畑翁輔《ペリー献上電信機実験当時の写生画》で、それから1870年代以降あえて電線を描く絵が続出する。それを見ると明治の新しい風俗を描くのに電線や電柱は不可欠であったことがわかる。
明治の東京各地の新風景を描いた小林清親は画面の中央に電柱を描いたし、河鍋暁斎や高橋由一、坂本繁二郎といった画家の風景画にも電線が出てくる。電線は文明社会の象徴であり、誇らしいものだったことがわかる。
富士山の前に見える電柱の絵も多い。およそ美観を損なう気がするが、伝統的な富士山の前に見える電柱の絵は、新旧の組み合わせが明治期に好まれたようだ。明治末期から大正時代になると、帝都東京の路面電車のための電柱も増える。あるいは岸田劉生が描く郊外の切通しと電柱の絵もある。関東大震災でズタズタにちぎれた電線も描かれる。
戦争画にも電柱が描かれている。福田豊四郎の《スンゲパタニに於ける軍通信隊の活躍》(1944)には、マレーシアで電信柱を立てている3人の日本兵が描かれている。戦後には「ミスター電線風景」とよばれた朝井閑右衛門の電線を画面の中心に描いた絵もあった。
驚いたのは大ヒットした「電線音頭」のレコードジャケットまで展示されていたこと。あるいは電柱に絶縁材として使われる陶製の碍子(がいし)も数点、まるで陶芸のように展示されていた。この「電線」への徹底した追及はすごい。
この展覧会を見たら、これまで東京の嫌なものの代表のように思っていた電線や電柱が、妙に愛おしいものに見えてきた。今年前半の話題の展覧会だろう。
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