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2021年3月18日 (木)

ネオリアリズモの起源の3本について

このブログを読んでいる方はわかると思うが、第二次世界大戦中に各国で作られた映画に数年前から関心が出てきた。日本もそうだし、韓国や中国の映画もおもしろい。最近、同時代のフランスやイタリアの映画を見ているが、これまた興味深い。こんなものをよくナチスドイツが認めていたなという作品がたくさんある。

イタリアのネオレアリズモはロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』(1945)からだと言われているが、最近ではその前にその傾向が出ている作品が何本もあると指摘されている。その代表がルキノ・ヴィスコンティ監督『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(42)、アレッサンドロ・ブラゼッティ監督『雲の中の散歩』(42)、ヴィットリオ・デ・シーカ監督『子供たちは見ている』(43)の3本である。

最近この3本をDVDで見たが、今の目から見たら『郵便配達は2度ベルを鳴らす』が抜群に現代的でおもしろい。『子供たちは見ている』も子供の視線が新鮮でなかなか。『雲の中の散歩』はファンタジー要素もあって一番普通の感じ。まあ、監督の力量がそのまま出ていると言えなくもない。

『子供たちは見ている』と『雲の中の散歩』には、脚本家として後に『自転車泥棒』などのデ・シーカ作品を支えるチェーザレ・ザヴァッティーニが参加しているのも、ネオレアリズモ作品と言われる理由かもしれない。

手法から言えば『郵便配達は2度ベルを鳴らす』で彷徨う男女を描くヴィスコンティが圧倒的に新しい。ところが物語で言うと、この3本には「道ならぬ恋に落ちる女」が出てくるのが共通している。戦時下にこのような「不道徳」な恋をする女性は、日本や韓国や中国の映画では考えられない。

『郵便配達は2度ベルを鳴らす』では、田舎の食堂で夫と暮らすジョヴァンナ(クララ・カラマイ)が通りがかったジーノ(マッシモ・ジロッティ)に惹かれて駆け落ちをし、しまいには夫を殺す。『子供たちは見ている』は、主人公の女性が愛人と駆け落ちするが「子供は見ている」という話で、これもいったん駆け落ちをして戻ってくるところが『郵便配達は2度ベルを鳴らす』と同じ。

『雲の中の散歩』は、ある男性に恋をしたが子供ができると逃げられた女性マリアが主人公。彼女は田舎に帰ると追い出されるとわかっているが行く場所がない。偶然に列車で知り合ったセールスマンのパオロ(ジーノ・チェルヴィ)に頼んで、夫の役割をしてもらう。彼女の父母はいったんは騙されるが見破ってしまう。

マリアは不倫をするわけではないが、結婚前に子供を作るのはやはり「不道徳」だろう。こうした映画が多いのは逆に戦争と関係があるのかどうか。そもそも戦争の影が一切感じられない3本が許可されていたこと自体、私には驚きだ。

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