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2021年4月22日 (木)

「あやしい絵展」がおもしろい:その(2)

「あやしい絵展」はまだ「後期」は見ていないが、もう少し書く。この展覧会がおもしろいのは「物語」が濃厚なことにもよる。芸術は一般に洗練されると、次第に「物語」を排除してゆく。小説も音楽も映画もそうだが、西洋絵画の場合は19世紀半ばから次第に物語を脱して純化していった。

ところが浮世絵にしても日本画にしても日本の絵画は近代以降も物語性が濃厚だ。とりわけ「あやしい絵」というテーマだとそういう作品が多い。明治期の新聞の挿絵や芝居の宣伝看板などでは、人目を引くために「あやしい絵」を描く。

一番驚いたのは高さ1メートルを超し、6枚組の大きな絵看板《不如帰の絵看板》(1905)。題字の1枚と別に鏑木清方など5人の画家の名前があるから、手分けして描いたのだろう。もともとは徳富蘆花の小説《不如帰》が芝居になった時の看板で、中将の娘が海軍少尉と結婚するが結核になり、夫が戦地にいる間に離縁されて悲しく死んでゆくまでが5枚にわけて描かれている。

これは美しいかどうかよりも、その場面を想像すると泣きそうになる。最初の絵はうぶな2人が初めて会った日ではないか、最後は死んだ女の夫と父親が墓の前で悲しんでいるのではないかと、芝居を見なくても看板だけでメロドラマが生まれる。あるいは鏑木清方の《金色夜叉の絵看板》(05)は大きな1枚だが、貫一、お宮の物語の結末部分を見せる。

世は日露戦争の時代のはずだが、こういう時代に悲劇のメロドラマを楽しむ心性が広がっていたのかと想像すると楽しい。展覧会の冒頭には江戸末期の幽霊や妖怪の浮世絵が並ぶ。歌川国芳の《源頼朝公館土蜘蛛妖怪図》(1843)は、源頼朝が土蜘蛛や妖怪を対峙した話を見せるが、多種多様な妖怪に笑ってしまう。

月岡芳年になるとほとんどエログロだ。殺人や自害の現場のように、赤い血が流れる絵が多い。これらが「東京日日新聞」や「郵便報知新聞」などに掲載されていたのだからすごい。殺人現場の再現だろうが、今ではとてもできない。明治初期のものだが、読者が楽しみにしていたと考えると楽しい。

そのほか文学の挿絵なども多く、全体として半分以上がなんらかの「物語」に依拠しているように思える。近代絵画の第一歩は写実、リアリズムであり、そこから抽象へ向かうが、日本の江戸から明治、大正にかけての絵画は、その逆を目指しているかのようだ。少なくとも今回の展覧会からはそれを感じる。

また「緊急事態」などと言っているので、去年の今頃のようにまた国立の美術館は閉じるかもしれない。早く「後期」を見に行こう。

 

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