上野千鶴子著『在宅ひとり死のすすめ』:続き
この本についてもう少し書く。「「孤独死して発見される」のが怖い人へ」という見出しがある。「要介護認定を受ければ、ケアマネがつき、訪問看護が入り、デイサービスのお迎えが来る。週に2回でも人の出入りがあれば、「1週間以上経過して発見される」という事態は避けられます」
それでも一人で死にたくないという人には「死ぬときには脳内麻薬といわれるエルドルフィンが出て多幸状態になりますから、傍に誰がいたって関係ありません」「誰が手を握っているかなんて、わからないでしょう」という医者の言葉。そして「臨終に立ち会いたいというのは死ぬ側ではなく、死なれる側のこだわりだ」
「ひとりで暮らしている年寄りがひとりで死んで何が悪い、それを「孤独死」とは呼ばれたくない、と思って、良くも悪くもなく、すっきりさっぱり「在宅ひとり死」ということばを創りました」
でも認知症になったら、死ぬまでの間一人で大丈夫かと思う。「日本の精神病院の人口当たりの病床数が諸外国に比べてだんトツに多く、また平均入院日数が長い」。今は入院日数を減らしているので、病棟を認知症用の生活支援施設に変えるところが多い。「手ぐすね引いて待ち受けるのは、精神病院と製薬会社」
精神病院の手段は2つ。「ひとつは身体拘束や室内隔離のような物理的行動抑制です。もうひとつは向精神薬を投薬しての生理的行動抑制です」「精神病院ならずとも、認知症高齢者を受け入れた施設で、認知患者が受ける待遇は似たりよったり」「「駆け込み寺」を必要としているのは本人ではなく家族」
なぜ家族が嫌がるかと言えば、ヘンな行動をするから。なんでも食べたり、裸になったり、どこでも排便をしたり。それが困るのは「世間の目」を気にする家族。上野氏がそう言うと「自分がそうなってもいいんですか」と介護施設の職員に聞かれて「わたしの答えは「イエス」です。わたしが自分でキモチイイと感じたことなら、そのまま受け入れて欲しい、です。少々見苦しいかもしれませんが、そう思うのは周囲であって、わたしではありません」
「認知症は病気ではない、老化現象の一種」とする認知症専門医もいる。「ほしいのは認知症を怖がる社会ではなく、認知症になっても安心して生きていける社会」。今では、生年後見、身上監護、死語事務委任の3点セットを引き受けるNPO法人もあるという。要するに早めに手を打てば、ウンコにまみれて一人で暮らしても自宅に住み続け、死んでも人には迷惑をかけないですむ。
介護施設で「ここはどこだ、オレは家に帰りたい」と叫ぶよりも、お金もかからずずっと幸せではないか。訪問するケアマネジャーや看護師や医者は大変だけど、病院で騒ぐ老人よりもいい気がする。
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