『ペトルーニャに祝福を』の不穏さ
マケドニアの女性監督、テオナ・ストゥルガル・ミテフスカの『ペトルーニャに祝福を』を始まったばかりの劇場で見た。予告編を見て、その妙な雰囲気が気になったからだが、なかなか見ごたえがあった。
映画は32歳のペトルーニャが巻き込まれた事件を追う。彼女は大学で歴史を学んだが、就職もうまくいかず恋人もおらず両親と暮らしている。日本にも世界のどこにでもいそうな高学歴の独身女性だ。ところが実に落ち着いていて怖いものなしで、見ていて不穏な雰囲気がだんだん広がってくる。この映画はどう終わるのか、途中から全く読めなくない。
朝、ペトルーニャは母親に無理に起こされる。就職の面接があるからで、彼女はいやいや出かける。面接に行くと容姿を馬鹿にされて不採用になり、おまけにセクハラまで受ける。帰り道、司祭が川に十字架を投げて拾った者は幸福になるという儀式に出くわす。多くの若者が待ち受けているが、ペトルーニャは思わず川に飛び込んで十字架を手にした。
実はその儀式は女人禁制だったが、ペトルーニャは平気で十字架を自宅に持ち帰る。町中は大騒ぎになり、彼女は警察署に呼び出される。司祭や署長や母親は何とか十字架を返すよう説得するが、彼女は納得しない。警察署前には儀式に参加した若者が大勢現れて騒ぎ、この儀式自体が男性中心だと非難する女性ジャーナリストも出てくる。
後半はペトルーニャが刑務所でいろいろな人々と話す場面が続くが、最初は彼女が何を考えているのかよくわからない。ところがだんだん彼女は普通で、周りが意味もなく騒いでいるように見えてくる。
冒頭に教会関係者が祈りながら大きな十字架をかついで練り歩くシーンがある。もちろん男ばかりだ。上半身裸で一斉に川に飛び込む若者たちも男ばかり。警察で彼女を説得する人々もそうだ。そんななかで出てくる女性はジャーナリストと母親だが、カタルーニャは男女差別だといきり立つジャーナリストにもあまり関心がなさそうだし、普通に生きてくれと願う母親にもそっけない。
彼女の落ち着きは途中から不穏にさえ見えてくる。映画は彼女をアップで捉え、目の動き一つで怒りや喜びを見せる。見終わるとどこか寓話のようだが、世界のどこでも毎日起きていることだと思い至る。
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