留学生と見る日本映画:その(1)
今年の大学院の授業は中国人が4人、トルコ人が1人という構成で、戦後の占領期の日本映画をテーマにしている。90分だし当面はオンラインなので、毎週1本を決めて事前に見て来てもらうことにしている。
実は初回の授業は対面だったので、亀井文夫のドキュメンタリー『日本の悲劇』(1946)をDVDで見せた。そしてこの映画がGHQと協力して作られたにも関わらず、吉田茂首相の圧力で上映中止となり、ネガもポジも抑えられた経緯を説明した。学生たちは映画の終わりで天皇が軍服から背広に変わるショットに驚いていた。
その後は「緊急事態宣言」で制作、実技系の一部を除いてオンライン授業となった。そこでアマゾンプライムで事前に見てきてもらって、1人が発表し、全員でディスカッションをする形式とした。去年の同じ枠の授業では中国人4人、日本人1人で1930年代から45年までの日本映画を扱ったが、一番みんなの関心を引いたのは小津安二郎の映画だった。
今年は戦後にしたのは、去年受けた学生が2名いたから。まずは小津から攻めることにした。全員が見ていたのは『東京物語』(1953)なので、それに至るまでの5本を選んだ。『長屋紳士録』(47)、『風の中の牝鶏』(48)、『晩春』(49)、『麦秋』(51)、『お茶漬けの味』(52)。
『宗方姉妹』(50)はアマゾンで有料だったのではずした。学生みんなが言うのは、「よく毎年映画が作れますね」「今の監督ではありえない」。それは小津が松竹の専属だったからで、当時の監督は当たり前だった。年に2,3本作っている監督もいたことを説明する。それから小津の映画は興行的にも多くは邦画でベストテンに入っていたことも。
『長屋紳士録』では昨年取っていた学生は『東京の宿』など戦前の喜八ものを思い出し、『風の中の牝鶏』では、佐野周二が田中絹代を階段から突き落とすシーンの衝撃について盛り上がった。小津の映画では階段はめったに写らないという蓮實重彦氏の文章を紹介し(スキャンして授業のネットにアップは簡単)、この映画では落とす前にも何度も階段が出たことを話す。
小津は戦時中もプロパガンダ映画は作らなかったし、戦後も兵隊姿は出てこない。しかし戦後の映画にはすべて「戦争」の痕跡が控えめにだが忘れがたい形で残っている。なかでも復員兵の佐野周二が動揺と混乱を見せるこの映画は、後を引く。そんな話をした。
留学生たちは日本映画の知識は日本人の学部生より少ないが、感性とやる気は大きく上回る。日本語はかなり不自由なのに、みんな話したがる。だから教えていても楽しい。
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