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2021年6月18日 (金)

映画『シンプルな情熱』の「情熱」とは

7月3日公開のフランス映画『シンプルな情熱』を試写で見た。日本でも人気の女性作家、アニー・エルノーが原作だし、有名なロシア人ダンサー、セルゲイ・ポルーニンが恋人役を演じるし、監督のダニエル・アービッドも女性なので、何か「濃い」なものを感じていた。予告編もただならぬ感じがした。

実は試写は時間が合わなかったが、宣伝担当の友人の勧めでオンラインで見た。これが予想通りというか、それ以上に最初から最後まで「愛に生きる女」をたっぷり見せてくれた。

冒頭、パリの街に立つエレーヌの顔をあらゆる角度から見せる。決して若くはない。パリのどこにでもいそうなお洒落な40歳前後の女性か。彼女は自分が年下のロシア人・アレクサンドルと出会って、すべてが変わったと語り始める。パリ郊外の庭付きの広い一軒屋で息子と暮らすシングルマザーで大学で文学を教えており、何不自由ない暮らし。

アレクサンドルから突然電話があり、20分後に会いたいと言われる。慌てて着替えて化粧をし、彼を迎え入れる。激しいセックスの後に、男は帰ってゆく。エレーヌは彼のことはよく知らなかった。自分の家でアレクサンドルと関係を重ねながら寡黙でフランス語がつたない彼について少しずつ知ってゆく。結婚してロシア大使館に勤めていること、エレーヌの専門とする文学におよそ関心がないことなど。

つまり、およそ精神的な結びつきはなく、お互いに肉体が欲しいだけ。そのうえアレクサンドルはエレーヌから連絡することを禁じ、彼女は待つだけ。それでもエレーヌは3週間も会わないと気が狂いそうになり、大使館にまで電話してしまう。ある時、男がモスクワに帰ったことを知る。

なんでそんなにとも思うが、アレクサンドル役はセルゲイ・ポルーニンというタトゥーで有名なダンサーが演じる。とにかくクールでかっこよく、なにより鍛え上げられた肉体が美しい。あの体に入ってこられたらすごいだろうとも考える。

この映画のポイントは、女性の側が相手を待つだけの立場でもとにかく会えたらいいと覚悟を決めていること。Me Too的に考えたら全く不平等なのだが、本人がそれでいいと思えばいい。終盤、男がいなくなった時に女が取る態度は、彼女が徹底して自立していることを示す。

それにしても、これほどの一途な愛は、今の日本ではないのではないか。映画の題名『シンプルな情熱』は原題Une passion simpleの直訳だが、西洋では愛は情熱に結び付いている。「情熱」passionはもちろんキリスト教的な「受難」も指す。西洋の文学における愛は、おおむね苦しみながらも情熱を貫き通すものが多い。

文学が作り出した愛の形が西洋近代社会を支配しているという意味のことを、ドニ・ド・ルージュモンが『愛について』(原題は「愛と西洋」)で書いていたと思うが、年をとってもここまで「愛」=「情熱」(「受難」)を貫く姿はむしろすがすがしい。

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