オンラインのイタリア映画祭を見る:その(1)
フェイスブックは暇な時に1日に1度は開くが、オンラインのイタリア映画祭の広告がよく出てくるので気になっていた。ある時見ると、この週末までという。そこで担当者のMさんに連絡を取ってオススメ作品を聞いた。そのうちの1本がジョルジョ・ディリッティ監督の『私は隠れてしまいたかった』。
ここに何度も書いたように、イタリア映画祭は2001年に私が始めた。ジャン・ルノワールとかハワード・ホークスの全作品上映を企画したといっても「そうですか」となるが、この映画祭は今もやっているから「あれは私が作ったんですよ」と自慢ができる。実際は2007年に異動になるまでだから、その後の方が長くなったが。
その後も毎年数本は見ていた。かつて自分が上映した監督の新作は気になったし、相変わらずお客さんが入っているのか見たくもあった。驚くべきは、2000年代前半に私が「天才」と思った監督の多くはどこに行ったかわからず、新しい俊英がどんどん生まれていること。かつて上映した監督で今も元気なのは、マルコ・ベロッキオ、マリオ・マルトーネ、パオロ・ヴィルツィ、フェルザン・オズペテクくらいか。
『輝ける青春』のマルコ・トゥリオ・ジョルダーナも『もう一つの世界』のジュゼッペ・ピッチョーニも『ベニスで恋して』のシルヴィオ・ソルディーニも近作は今一つ。私は一番期待していたカルロ・マッツィアクラーティに至っては、日本で1本も劇場公開されないうちに50代で亡くなってしまった。そのほか新作のない監督は数知れず。
『私は隠れてしまいたかった』のジョルジョ・ディリッティ監督は1959年生まれで私と同世代だが、第1回作品が2005年でこの作品が4本目と遅咲きで寡作。『やがて来たる者へ』(2009)はイタリア映画祭の後に劇場公開されたが、ファシズム期のイタリアを少女の目から描く秀作だった。
今回の新作はそれをさらに上回る。20世紀前半に活躍した精神を病んだ画家、アントニオ・リガブエの生涯を映画にしたもので、これまたファシズム期のイタリアを、社会から疎外された芸術家の目から描く。冒頭は少年時代にいじめられていた光景。そこはスイスで少年もドイツ語を話していた。
施設に入れられて、20歳の時にイタリア国籍ということで、言葉もできないイタリアに追放される。エミリア地方の田舎で彼は絵を描くことを覚えるが、周囲で問題を起こして精神病院に入れられる。病院に入ったり出たりしながら絵を描き続け、次第に評価は高まって来る。後半は立派な家に住みながらも奇行を続けるリガブエの日常を見せる。
なんといっても、20代後半からのリガブエを演じるエリオ・ジェルマーノがすばらしい。かつてイタリア映画祭で日本に来た時はお茶目な青年だったが、中年の純粋で狂った男が乗り移ったかのように異端の画家の人生を演じ切る。テーマとしてはフランス映画の『セラフィーヌの庭』に近い。
そしてエミリア地方の光景に目を奪われる。彼が中庭を遠くから赤いバイクで走って来るだけで、女と車に乗って外を見るだけで、ため息が出そうになる。かつてタヴィアーニ兄弟やベルトルッチの映画で見た、北イタリアの豊穣な大地が蘇った。これはスクリーンで見たいので、劇場公開して欲しい。
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