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2021年6月21日 (月)

『女性差別はどう作られてきたか』を読む

今度ある出版社と仕事をすることになり、若い編集者が自分が担当したと持ってきてくれたのが中村敏子著『女性差別はどう作られてきたか』。12月に私の学生が企画する映画祭のテーマが「ジェンダー・ギャップ」に決まったこともあり、知らない著者だったがさっそく読んでみた。

この本が面白い点は2つ。1つは女性の社会的な活動の側面からとらえられがちなフェミニズムを、「家父長制」という家族内における夫婦関係から分析していること、もう1つは「その家父長制」が西洋、とりわけ英国でどう変化したかを検証して日本と比較していることである。

とりわけ2つ目に関して驚くのは、「江戸時代の日本の女性は、イングランドの女性より解放されていた」(p113)という結論が出されていること。フェミニズムやジェンダーに関して、現代日本は分が悪い。男女格差の解消度が世界で120位が現状だから最悪だ。

去年、国立歴史民俗博物館で開かれた「性差(ジェンダー)の日本史」展で明らかになったのは、古代は女性首長もいて差別が少なかったのに、奈良から平安、江戸へと移るにつれて仕事や身分の性差が激しくなり、1945年が頂点だということ。江戸時代も大奥や娼婦の資料などから、かなり差が広がっていたのを見ることができた。

この本は西洋の女性差別の根拠をアリストテレスのギリシャ哲学やキリスト教の世界観から見る。アリストテレスは「男性は原理を体現しており、何かをできる能力を持つ。まさにそれこそが「雄」という意味なのだと明言します。それに対し、女性は単なる材料であり、何もできない無能力の存在である」(p20)

「キリスト教の教えにおいては、女性という存在、そして男女の性関係は「原罪」と結び付けられ、抑圧の対象となります。そして、神により聖化された教会による結婚だけが、性に関わる罪から逃れる道になりました」(p27)。これは宗教改革が起きても変わらない。以下はルターの言葉。

「男性は広い旨と小さな腰を持つ。それゆえに彼らは知恵を持つ。女性は家にいるべきなのだ。なぜなら女性は大きな腰と尻を持つがゆえに静かに座っているべきなのだから」

17世紀英国のジョン・ロックの「社会契約論」になっても変わらない。「自由で平等な人間が社会契約によって国家を作る前の「自然状態」において、家族を作るために女性を抑圧する結婚契約が結ばれていたというのが、ロックの描いた家族と国家の構造でした」(p37)。筆者はペイトマンに倣ってこれを「性契約」と呼ぶ。

英国では15世紀頃から「カヴァチャー」coverture(日本語では「庇護された妻の身分」と訳される」と呼ばれる法の考えが定着し、「こうした妻の無権利状態の多くは19世紀後半まで、その一部は20世紀まで続くことになりました」(p46)

この「カヴァチャー」は欧米の映画を見るとよくわかる。いわゆるジェントルマンは表向きは女性に優しいが、それは「カバー」しているだけで、その内側では圧倒的な権力を振るっている場合が多い。今日はここまで。

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