30年ぶりの『たそがれの女心』
たぶん30年ぶりくらいにマックス・オフュルス監督『たそがれの女心』(1953)を見た。働き始めた頃に、アテネフランセ文化センターで見たのではないか。たまたま国立映画アーカイブのサイトを見ていたら急に見たくなり、その日にネットで予約してセブンイレブンで発券して見に行った。
その前に上映された『ブライロフスキイの華麗なるワルツ』(1936)はピアニストの5分間のドキュメンタリー。同じオフュルス監督だが特にどうということはない。遠近さまざまな場所から撮っていたのが気になった。
『たそがれの女心』の原題は「Madame de...」。つまり貴族の女性なのだが、映画の中で姓は呼ばれることはない。将軍である夫のお金(=名前)で好き放題をする主人公の存在の危うさを意味しているのか。
ダニエル・ダリュー演じる主人公ルイーズは、遊び過ぎてお金がなくなり、結婚の時にもらったイアリングを宝石商に売る。そしてオペラ座でイアリングがなくなったと騒ぐ。宝石商はそれを再び夫のアンドレに売るが、アンドレは愛人に贈る。愛人はコンスタンティノープルのカジノでお金に困って売り、イタリア人のドナーティ男爵が入手し、それを出会ったルイーズに贈る。
ルイーズはイアリングを着けて夫に「見つかった」と言う。アンドレはフランス大使となった男爵に、イヤリングは自分が買ったものだから取り戻して宝石商に売るよう命じる。アンドレは再びイヤリングを買い、ルイーズに与える。ルイーズは夫の言うように結婚する姪にプレゼントするが、姪の夫は金に困って売る。ルイーズはほかの宝石を売って買い戻す。
ありえないようなイヤリングの移動のドラマだが、この小物をめぐって、人々は走り回り、踊る。戸を開けて閉め、階段を上って降りる。カメラはそれを流麗に追いかける。何といっても、毎晩踊っているルイーズと男爵がすばらしい。彼らだけがいつまでも踊るので、楽団が帰ってしまうところも。
あくまで落ち着き払って嫌味を言いながら妻と接する夫を演じるシャルル・ボワイエがぴったりだし、イタリア貴族役のヴィットリオ・デ・シーカが実にエレガント。そして目先のことしか考えられず、いつの間にか男爵との恋に溺れてゆくルイーズ役のダニエル・ダリューが可愛らしい。
感じとしてはルビッチに似た錯綜する恋愛ドラマで、日本人が普通にリアリティを感じるものではない。映画通は間違いなく評価するだろうが、一般には難しいかもしれない。個人的には、こういう古典を週に1本くらい見たら幸せかなと思った。
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コメント
「たそがれの女心」私も国立アーカイブで見ました(6月12日).
3回目ですが今回が一番堪能しました.
この映画は最初の3分の1と終りの3分の1では耳飾りの持ち主が目まぐるしく変わるけど,
今回初めて展開についていけた気がします.(中盤では耳飾りは背景に退いている.)
とはいえ,数日たった今では,将軍がどのようにして男爵が婦人に与えた耳飾りを取り返したのか,などの記憶はあいまいになっています.
私は,婦人に憐れみを感じました.ルビッチ映画の溌剌とした主人公に憐れみを感じることはなさそうです.
映画の最初のセリフで「これ(耳飾り)は結婚記念なので売るわけにはいかない」と言いながら結局売ってしまう!
耳飾りの由来について男爵に出まかせを言い続ける!なんて愚かな,でもありそうなこと.
当日はやけによく笑う観客がいましたが,「夫人は愚かだけと,そんなに笑ってはかわいそう」と思いながら見ていました.
その他の感想.
耳飾りは将軍にとっても高価なものであり,従者たちが食事の不満を言うのは,たびたびの買戻しが家計の負担だからでしょう.
また,最後の決闘では,婦人の祈りが通じて男爵は助かるのだ,と思いました.冒頭の利己的な祈りがかなったように,より真剣で利他的な祈りが通じたのだと.ただし,その代償は耳飾りと自分の命でしたが.
投稿: yazaki | 2021年6月16日 (水) 16時42分