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2021年7月22日 (木)

フランソワーズ・アルヌールさんが亡くなった

今朝の新聞でフランスの女優、フランソワーズ・アルヌールさんが亡くなったのを知った。その少し前に起きた時に触ったスマホでわかってはいたが。まず思ったのは、そうか、誰も知らせてくれないのか、ということ。

もし、評論家のジャン・ドゥーシェさんや映画プロデューサーの吉武美知子さんが生きていたら、すぐにメールをくれただろう。考えてみたらパリでアルヌールさんと一緒に会っていたのはこの2人だけだが、この2、3年で彼らも逝ってしまった。

アルヌールさんと最初に会ったのは、1996年4月28日のこと。その秋にフィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)でルノワール監督の全作品上映「ジャン・ルノワール、映画のすべて」を準備中の時に、まさにジャン・ドウーシェが紹介してくれた。「数年前にフィレンツェのルノワール・シンポジウム」で会ったが、実に聡明で今も可愛らしい」

ジャン・ドウーシェさん、今は国立映画アーカイブの館長となった岡島尚志さんと吉武美知子さんを交えて7区のレストラン「ラ・ブルドネ」で夕食をした。その時の会話と写真はルノワール特集のカタログに載せてある。そして11月、彼女は日本にやってきてた。

1週間ほどいたと思うが、朝のメイクから夕食まですべてつきあった。今はなき「ホテル西洋」で、私は多くの部屋を下見して自然光の入る化粧室のある部屋を選んだ。最初はプレス、関係者向け『フレンチ・カンカン』上映とパーティ、翌日は初日で『フレンチ・カンカン』の舞台挨拶。

多くの週刊誌がグラビアで取り上げた。たぶん当時の編集長クラスが『ヘッド・ライト』や『女猫』を覚えていたのではないか。舞台挨拶の後は多くの一般の観客の方がサインを求めて並んだ。

彼女は本当はインタビューは嫌がっていた。だからその合間の食事や散歩が大好きだった。今はなき京橋の「美々卯」には何度も行ったし、ゴールデン街の「ラ・ジュテ」にも、鎌倉への小旅行にも行った。これらにつきあってくれたのが、当時国際交流基金にいた岡田秀則さん(その後、国立映画アーカイブに移った)。そういえば、自宅のパーティの写真には岡田さんと今はなき寺尾次郎さんも写っている。

それから私はパリに行くたびに彼女に電話して夕食を共にした。彼女は5区の南端にあるアパルトマンに住んでいて、歩くと近所の人々から「ボンジュール、フランソワーズ」と声をかけられた。行きつけのレストランがいくつかあったが、そこでは彼女の席は決まっていた。ほぼ毎年会いながら、いつの間にか四半世紀が過ぎた。

2016年に半年滞在した時は5、6回会った。たまたま彼女の5区の自宅と私の借りた13区のアパルトマンは歩いて12、3分だった。その頃から夕食は疲れるから昼食がいいと言っていた。最後に会ったのは2019年9月9日。コロナ禍がなければ、去年も会っていたはず。年賀状にフランス語を添えて出すと、必ず返事が来た。去年は2月頃に来たが、そういえば今年は来なかった。

パリに行く理由がまた一つなくなった。

 

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