『キネマの神様』に考える
8月6日公開の『キネマの神様』を最終の試写で見た。今年90歳になる山田洋次監督が「松竹映画100周年記念作品」と銘打って脚本・監督をした作品だが、ずいぶん前から予告編を見た気がする。主演の予定の志村けんが昨年3月末に亡くなって、沢田研二が代役に立った話題もあった。
そして年末の公開の予定が緊急事態宣言でGWになり、さらに延びて夏休みになったのではないか(少し違うかも)。その間、松竹系の映画館で何通りも予告編を見たが、やはり完成形を見たいと思った。
結果は私にとっての最近のこの監督の作品の感想と同じで「泣いたが疑問も残った」というところ。特に今回は過去パートが大船撮影所、現代パートが中野の名画座を舞台にして「映画」そのものをテーマとしただけに、長年の映画好きでそれが高じて映画を教える自分としてはいろいろ考えた。
まして1950年代の部分では、出水宏という名前は清水宏に似た監督をリリー・フランキーが演じるし、小津安二郎を思わせる小田監督の撮影シーンもちらりと出て『東京の物語』(映画では「の」を聞いたと思う)を現代の主人公が見るという場面まである。
だから正直なところ、あれは違う、なぜこうしないんだとあちこちで思った。そういった蘊蓄というか個人的な小言は気が向いたら公開後に書くことにして、今日はよかったところ、泣いたところを中心に書く。
まず、過去パートがよかった。大船撮影所で助監督として監督を目指すゴウ(菅田将暉)がいい。必死で脚本を書いてとうとう監督昇進を迎える。そしてもっといいのは友人のテラシン(寺林新太郎=野田洋次郎)で、撮影所内で映写技師をしており、自分はゴウのように才能がないから将来は映画評論家か郊外で映画館をやりたいとぼそりと言う。
テラシンが好きになるのが撮影所の近くの食堂「ふな喜」の看板娘の淑子(永野芽郁)だが、淑子は実はゴウが好きだったという構図もよくできている。食堂の娘と映画人の恋はまるで名優・佐田啓二の実話を思わせる、淑子の母役の広岡由里子の地味な感じは小津の遺作『秋刀魚の味』の杉村春子のよう。
そして何より、当時の撮影所の濃密な雰囲気がよく再現されている。若い監督のゴウに余裕でアドバイスをするベテランのキャメラマン・森田(松尾貴史)を始めとして、何十人という人々が折り重なるようにして1本の作品に向かう姿は、1954年に松竹に入社して往時を知るこの監督にしか描けないだろう。
現代では、老いた小林稔侍演じるテラシンと宮本信子演じる淑子の再会の場面に泣いた。何十年もたってからの偶然の出会いというのは本当にあるものだし、若き日の恋心は実は長く続くものだと、還暦の私も思うから。
現代の部分にコロナ禍の日々をきっちりと入れたのも、時代の刻印となる。映画館がすべて閉館になって名画座が苦境に陥り、映画ファンがクラウドファンディングなどで支援するなんて、実際にあったことだし。
そんなこんなで映画好きには必見なのではないか。人によってはいろいろ文句は出るだろうけど。
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