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2021年7月17日 (土)

ボルタンスキーが亡くなった

フランスの美術作家、クリスチャン・ボルタンスキーが亡くなった。たぶん外国の現存の美術作家では、私は一番好きだったのではないか。少なくとも作品はたくさん見ているし、本人にインタビューしたことさえある。

最初に見たのは1990年の水戸芸術館で、写真と電球を組み合わせた祭壇や大量の古着を押し固めたインスタレーションに大きな衝撃を受けた。それからはベネチア・ビエンナーレや横浜トリエンナーレで共に何度も見た。ベネチアではフランス館で個展をしていたこともあった。

あるいは越後妻有トリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭でもいくつも見た。瀬戸内海の豊島では、彼の「心臓音のアーカイブ」で自分の心臓音を録音し、CDで持ち帰った。部屋の中でさまざまな人間の心臓音がなるだけの展示だが、シンプルで奥が深かった。

それから2016年に東京都庭園美術館で小さめの展示があり、2019年の国立新美術館の大きな個展が見納めになった。こちらは日本国内の美術館から祭壇タイプの作品を集め、最近の島や海をテーマにした展示と組み合わせていた。

そこで残念だったのが、古着を集めたタイプがなかったこと。これはパリ市立近代美術館の常設の地下にすばらしい作品が長年展示されていたが、2016年に半年住んだ時はなかったと思う。どこかの常設にないだろうか。

「心臓音のアーカイブ」も古着を集めたインスタレーションもそうだが、彼は最近は「購入」できるような作品を作っていない。そのことについて2008年11月11日の「朝日」夕刊で私のインタビューに答えて、こう語った。

「購入できる作品はあまり作らず、一回限りのコンセプトとしての展示を発表したい。最近の金融危機で、アートバブルが終わればいい」。ちょうどリーマン・ショックの直後だった。

彼はナチス占領下に床下で暮らしていたロシア系ユダヤ人の父とコルシカ出身のキリスト教徒の母から生まれた。解放後も世間の目を恐れて家族と暮らし、12歳で学校に行くのをやめた。ジャコメッティとカントールに影響を受けたと言ったが、今思うとよくわかる。

「人前で話すのは苦手。文章はまともに書けない。でも運良くこれまで一度も強いられた仕事をすることなく、好きなことをして暮らしてきた。子供はいないが、作品は残る。死後も世界のどこかであんな男がいたな、と思ってくれたらうれしい」

丸顔の坊主頭で人懐っこい、柔和な笑顔を思い出す。彼の希望通り、その作品は人々の心に深い何かを刻み続けるだろう。

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