『岸惠子自伝』を読む
出たばかりの『岸惠子自伝』を読んだ。この女優にはあまりいいイメージがない。「日本とフランスを渡り歩く華やかな女優」なのだが、どうもその実体がよくわからなかった。一度フランス大使館の昼食会でご一緒したことがあるが、当然私は話すこともできなかった。名刺をいただいたので2か月後にインタビューの依頼をしたが、断られた。
ただ、小説『わりなき恋』(2013)はなかなかおもしろかった。以前からエッセイで何度か賞を取っているだけあって、文章はうまい。今回の『自伝』は本人の記憶をもとに自由に書いているが、おもしろいところとそうでもないところが混じっているように思えた。
私にとって一番興味深かったのは、夫だったイヴ・シャンピとの出会いと別れ。出会いは彼が監督した日仏合作映画『忘れえぬ慕情』(1956)で、岸惠子主演でロケ撮影は長崎。この本の副題の「卵を割らなければ、オムレツは食べられない」は、夕食で彼がプロポーズの時に言った言葉だった。
「日本はいま自費での海外旅行を禁じている。ぼくが招待するからヨーロッパやアフリカを見てみませんか」「でも、いろいろな国を見て、やはり日本がいいと思ったら、帰ってくればいい」「あなたは自由なんだよ」
この言葉に「わたしは恋に落ちた」。「1957年の4月29日、二十四歳のわたしは身一つで祖国日本を去ったのだった」。幸運だったのは、イヴ・シャンピの家が豊かだったことだろう。両親は世界的なピアニストとバイオリニストで、夫はパリの大きなアパルトマンに住んでいた。料理人もメイドもいたので、彼女はフランス語の勉強と社交に力を注いだ。
その家を訪ねた長島、王、野村、稲尾ら野球選手に中村錦之助、有馬稲子と岸が写っている写真がある。「海外旅行が自由化する前も、あとも、パリを訪れた方たちのほとんど皆がシャンピ家のわたしを訪れてくれた」「結婚以来の七年間、一人娘のわたしを手放した両親に親孝行をするため、夫は年に一、二回飛行機の往復チケットをプレゼントしてくれた」
そして幸せな日々は過ぎ、夫の不倫に気づいたのは十歳の娘、デルフィーヌだった。「祖国を出奔し、未知の町パリへ着いた日から、満十八年たった1975年5月1日、すずらん祭の日差しが凱旋門を紅に染めたとき、我が家と思って住んだ夫の家を去った。娘と彼女の愛犬ユリシーズと母に贈られた三面鏡を乗せたわたしの車のバックミラーに、滂沱と涙を流す夫の姿が揺れながら遠のいていった」
「翌日、夫が当座必要なものを運んでくれた。その中に義母がデザインした24人分の素晴らしい銀食器類があった。/「これは母がぼくとケイコの結婚を祝って贈ってくれたもの、他の誰にも使われたくない」。こんないい奴なら離婚しなければよかったのに、と思うが。
それでも、フランスの監督に求婚されて女優のキャリアを捨ててパリに行くのも、夫の不倫を知ってパッと家を出るのも、この女優の思い切りのよさだろう。これがいつもよい方向に彼女を導く。元夫の援助を断って、日本のテレビ番組の取材でアフリカや中東を駆け巡り、ジャーナリストやエッセイストとしての立場を確立してゆく。
そして娘が結婚し、2000年になって68歳で再び日本で暮らし始める。この本を読むと、本当に波乱万丈だがいつも前向きで楽しい人生、というのがよくわかる。その生き方が、どこまでもまっすぐな文章と呼応している。
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