『返校』の新世代感
7月30日公開の台湾映画『返校 言葉が消えた日』の試写を見た。「『悲情城市』『牯嶺街殺人事件』に続く、白色テロ時代を描いた衝撃のダーク・ミステリー!」というキャッチコピーに、すぐにも見たくなったから。
私は台湾の戦後史について全くと言っていいほど知らない。1980年代後半まで軍政の戒厳令下にあったと言われるが、日本にはほとんど伝わってこなかったように思う。ホウ・シャオシェン監督の『悲情城市』(91)を見て感激した私は1週間の台湾旅行に出かけたが、軍隊があちこちにいたのに驚いた。
同じ年のエドワード・ヤンの『牯嶺街殺人事件』にしても、台湾現代史の闇の深さに唸った。とにかく彼らの作品が、長い間の抑圧に耐えた沈黙の中から出てきたのは間違いないと思った。そして同じようなものを求めて『返校』を見たが、こちらは全く違った。
舞台は1962年、翠華高校の入口でバイ教官は登校してくる生徒たちを睨んでいる。2年生のヨウが捕まって鞄の中を見せるよう命じられるが、友人のホアンの機転で、隠した本ではなく人形を見せてごまかした。彼らが向かうのは備品室の読書会だった。そこでは若い男女のチャン先生とイン先生の指導の下に、7、8人がタゴールなどの発禁本を読んでいた。
主人公のファンという3年女子もその1人で、チャン先生に憧れているが、彼はイン先生と仲が良さそうだ。ホアンはファンに憧れて付いてくる。そこまでは雰囲気といい、登場人物の何かを隠した感じといい、抜群によかった。
ところがそれから始まるのは、ファンの幻想というか、権力によって危険分子が潰されてゆく悲惨なシーンがホラー映画のように展開する。首は飛び、生徒たちの頭には麻袋が被せられ、怪物のようなものも現れる。どこかでが現実でどこまでが夢なのか曖昧なまま、拷問は続いてゆく。
実は最初は全く乗れなかった。まるでゲームのようで、むしろ嫌になった。ところがだんだん陰惨なシーンがあくまで作りものに見えはじめてくると、何となく甘美な時代の憂鬱に巻き込まれてゆく。ファンがチャン先生と一緒に歩いたり映画を見たりするシーンがいい感じに思えてくる。
脈絡のない暗黒の美しさがいつまでも続くかと思うと、突然現代になって映画は終わる。見終わって、若い世代のジョン・スー監督にとってのあの時代は、実体のないゲームのような戯れなのだと気がつく。もともとこれは数年前に台湾で出たゲームが元になったという。プレス資料にはそのゲームに夢中になった監督が映画化を考えたことが書かれている。台湾映画も全く新しい世代が出てきた。
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