『オキナワ サントス』の意味
8月7日公開の『オキナワ サントス』を試写で見た。1943年のブラジルにおける「日系移民強制退去事件」を追いかけたものだが、見る前はずいぶんニッチな部分を追求するなあと思っていた。ブラジル移民だけでも大きなテーマだし、興味深い「勝ち組負け組対立」もあるのに。
しかし見ていると、自らの過去を得々と語り出す80代や90代のブラジル移民たちの姿が魅力的で、思わず最後まで画面に引き付けられた。この監督が見せたかったのは、1943年の隠された事件の露呈をきっかけに自分のルーツを探り出す移民の人々の姿なのだと思い至った。
「日系移民強制退去事件」は1943年7月8日に港町サントスで暮らす日系人に「翌朝8時にサントス駅に行け」と命令が下ったことを指す。邦字新聞が禁止された時期だったこともあり、地元紙の小さな記事1本以外にはほとんど資料がないという。監督は邦字紙の深沢編集長と共に調査に乗り出す。
地元紙の記事には、着の身着のままでサントス駅に集まった大勢の日本人の姿が克明に写っている。写真からはそれなりに豊かな者もいたことがよくわかる。サントスのかつての日本語学校は、現在は日本人会館となっているが、そこには強制退去させられた585家族のサントスでの住所と移動先が記された名簿が残されていた。
名簿を見ると、半分以上が沖縄の苗字。そこで監督と深沢氏はその名簿をブラジル沖縄県人会の面々に見せた。すると、当時21歳だった、9歳だった、6歳だった、13歳だったなどと老人が次々に退去の思い出を語り出す。「当時、日本人は蔑まれて「スパイ野郎」と呼ばれていました」「銀行の預金も接収されました」「両親はよく泣いていました」
彼らは日本語で話す場合もあるが、多くはブラジル語。なかにはブラジル語に沖縄言葉を交える人もいる。みんな生き生きとして80年近く前の絶望的な日々を語る。「悲しい夢を見たような感じです」と話す者もいた。
インタビューを受けた一人から「取材の映像を使わないで欲しい」と連絡が来る。「オキナワさんを熱心に取材しているそうなので」。国会議員も務めた伊波氏は「私たち沖縄人はブラジルで日本の内地出身者から差別を受けていたのです」と語る。日系人はブラジルで差別を受けていたが、そのなかで沖縄人はさらに差別を受けていたとは。
後半、実際に退去した2人がサントスから収容所までをたどる映像がある。そうするとやはり細部が蘇る。退去当日は近所の人々が作物や農機具などを持ち去ったという。サンパウロから450キロの内陸部に行かされ、4日目に弟が生まれたこと。
ドキュメンタリーを撮るという行為が当人たちに過去の記憶を思い起こさせ、過去の歴史が書き換えられてゆく。そんな貴重な瞬間を目撃した気がした。映画に何年かけたのかわからないが、完成までにインタビューをした5人が亡くなられたという。この映画によって彼らは歴史の一部となった。
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