『スーパーノヴァ』に少し退屈
『スーパーノヴァ』は予告編を見て「もうわかった」という気がしたので、見ないつもりだった。長編2本目というハリー・マックイーン監督も聞いたことがない。実は『ゴジラVSコング』を見ようと思ったのに、直前に気が変わってこちらを見た。
たぶん金曜夕刊各紙で絶賛されていたのが気になったのだろう。見ると確かに脚本は巧みで演出は繊細だし、主人公の2人を演じるコリン・ファースとスタンリー・トゥッチの演技は絶妙だ。イギリスの湖水地方の光景は目を見張るほど美しい。でも、私は少し退屈した。
コリン・ファース演じるサムはピアニストで、恋人で作家のタスカ―と共にキャンピング・カーで湖水地方に旅に出る。サムのコンサートに行くのが目的だが、途中にサムの姉夫婦が住む実家があり、その地域は2人にとっては思い出の地だった。
タスカ―は認知症が始まっており、最初のあたりで森で迷子になるシーンがある。タスカ―は近い将来を見越して「準備」をしていた。2人はよく議論をするが、結局はお互いを認めて仲良く収まる。彼らをよく知る姉夫婦と付近の友人たちは、彼らを暖かく迎える。
タスカ―の認知症以外は幸福そのものの2人だ。ゲイカップルを差別する者は映画には出てこない。彼らはみんなから認められた芸術家で、お金にも困っていない。その「リア充」ぶりが見ていてどこかつまらない。彼らの愛の表現は抑制されていて美しいが、何か絵画を見ているような気分になる。
「スーパーノヴァ」は星が進化の最後に大爆発をすることを指すらしいが、映画の初めと終わりに星がたっぷり出てくる。哲学的な思いへと誘う仕掛けだが、このもったいぶった感じが全体を支配している。
私は昔苦手だった、初期のイングマル・ベルイマンに感じたもの、あるいは後期のミケランジェロ・アントニオーニに漂うものを思い出した。つまり芸術や哲学へ誘うものとして作られた映画のこと。もちろん今見ると、この映画よりは何倍も高級だけれど。
さて映画評を見てみると、「朝日」の評はこう始まる。「中年の男性カップルの話である。愛とは何か。その本質が、瀟洒、繊細、品格、そして哀愁を基調に手綺麗に語られる」。終わりは「この映画は無上に麗しく、清やかな香気をたたえて、私たちの心を洗う」。ううむ。
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