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2021年8月 5日 (木)

『ミス・マルクス』の現代性

9月4日公開の『ミス・マルクス』を試写で見た。カール・マルクスの娘を描いたというので興味が沸いた。最近、斎藤幸平著『人新生の「資本主義」』や池上彰、佐藤優両氏の対談『真説 日本左翼史 戦後左派の源流1945-1960』を読んで、近い将来に新たな共産主義、社会主義の時代が来るかなと本気で思い始めていた。

イタリアの監督、スザンナ・ニッキャレッリは『ニコ、1988』はベネチアで見たが、その前の『コズモナウタ 宇宙飛行士』はイタリア映画祭でやったのに見ていない。どちらも女性を主人公にした映画で、今回もそうだがマルクスの娘、エリノアが主人公。

冒頭、1883年のロンドン、ロモーラ・ガイが演じるエリノアが父の葬儀でその思い出を語る。そこで会った劇作家のエドワード・エイヴリングに惹かれて、招待されたアメリカへの旅行に誘う。そこから真面目過ぎるエリノワと贅沢好きなエドワードとの違いがわかって来る。それを見たエリノワの周囲の人々はエドワードを歓迎しないが、エリノワは気にしない。

エリノアは父の理論からさらに先に進み、男女間の差別を撤廃しようと社会に訴える。彼女がエドワードに「あなたといて幸せなことはなかった」と言うシーンは、後で夫と共にイプセンの『人形の家』を演じているとわかるが、現実かと思ってしまった。

そのうえ、父に隠し子がいたり、エドワードに若い愛人がいたり阿片中毒になったりと、辛い事実が次々と起こる。それでも見ていて元気が出るのは、彼女がいつも明るく前に突き進むから。バックに流れるロックの音楽と共に彼女を見ていると、ほとんど現代の女性という気がしてくる。

終盤、エリノアが社会主義運動の仲間たちを前にして自分が目指す男女平等社会について語るシーンは、今聞いても全く古くない。フランス語の「インターナショナル」がロック風に歌われるとなぜか現代の歌に聞こえてくる。監督はこういうことを描きたかったのかと合点が行った。「インターナショナル」という歌は歴史ものの映画でよく出てくるが、これほど現代性を持って迫ってくるのは初めてではないか。

最近、『プロミシング・ヤング・ウーマン』や『17歳の瞳に映る世界』など、ジェンダー・ギャップを正面から描いた映画が多い。これはその問題が新しい社会主義と結びついていること、社会主義が現代社会にも通用することをあえて今風の軽快なタッチで見せようとした映画だと思い至った。

 

 

 

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