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2021年8月16日 (月)

『モロッコ、彼女たちの朝』のパン

モロッコ出身の女性監督、マリアム・トゥザニの初長編『モロッコ、彼女たちの朝』を劇場で見た。予告編で若い女性がパン屋の中年女性と出会って、一緒にパンを作る様子が魅力的だったから。

映画を見ると、彼女たちの作るパンは実においしそうだ。パン屋の女主人、アブラの家に泊まった若い女性のサミアは、ある朝早起きして突然ひも状のパンを作っていてアブラの娘を喜ばせる。「ルジザ」と呼ばれるものでたくさん作ったので店で売ると「手作りかい」と人気に。

みんながいつも普通に買うのが「ホブズ」で、厚手の小さめのピザの感じで、店の入口に積み上げてある。オーブンが故障した時は、サミアが共同の窯に行って焼いてもらった。これは食事の時もちぎって食べている。そのほかクレープ風の「ムスンメン」も人気だし、お祭の時はビスコッティに似た「フッカス」が飛ぶように売れる。

これだけでも十分楽しめるが、映画はパンを作る話ではなく、子供を作る話だった。結婚できない相手と関係を持って妊娠中のサミアは、たぶん家から追い出されて、カサブランカの旧市街を彷徨う。どこかで出産したら、子供を養子に出して自分は実家に帰るつもりだった。

お金もないサミアは大きなお腹を引きずって仕事を探すが、そんな女性に住み込みの仕事などあるはずがない。アブラも相手にしないが、夜中に路上で寝ようとしている彼女を見て、家に連れてくる。アブラの娘はすぐに馴染み、サミアは数日住むことになる。

アブラは夫の思い出を胸に娘と2人で住んで、言い寄る男性も受け付けないが、サミアの存在は彼女の心を次第に溶かしてゆく。サミアが自然にアブラを抱きしめる様子を見ていると、この2人はレズの方向に行くかとさえ思ったが、それはなかった。

サミアの出産が近づいてアブラの家を出ようとすると、アブラは彼女の家で生むことを勧める。無事赤ちゃんが生まれて、サミアはどうすべきか考えを巡らす。つまりは、未婚の母が許されないイスラム社会で何とか生きようとするサミアと夫を亡くして何とか自分の力で娘を育てようとするアブラの戦いの物語で、まさに最近多い「ジェンダー・ギャップ」を訴えた映画だった。

カサブランカの旧市街は絵のように美しく、家の中でパンを作るアブラやサミアの地味だが美しい姿はフェルメールの絵のよう。彼女たちには携帯電話もパソコンもなく、音楽はカセットテープで聞く。付近には旧市街ならではの人の声や物音が絶えず響く。先進国に喜ばれそうなエキゾチズムはすべて揃っている。

その意味では、第一回長編でジェンダーとエキゾチズムを表に出して道を切り開こうとする女性監督による「辺境の映画」かもしれない。

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