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2021年8月 6日 (金)

『江戸東京の明治維新』に考える

横山百合子著『江戸東京の明治維新』を読んだ。この著者は昨年、佐倉の国立歴史民俗博物館で開催された記念碑的な展覧会「性差(ジェンダー)の日本史」の企画者としてインタビューやコメントが出ていたので気になっていた。

私の学生が12月に「ジェンダー・ギャップ映画祭」をやることもあり、展覧会の形で日本のジェンダーギャップ史を見せた彼女の本を読もうと思って最近の本を探すと、この新書が見つかった。

読んでみると確かにおもしろい。一言で言うと、明治維新で武士や庶民の生活の何が変わり、どのように対応していったかを当時の資料から読み解いたもの。だからジェンダーとは直接関係はないが、やはり遊女の変容を論じた第四章「遊郭の明治維新」が出色だ。

「軍事都市として建設された城下町江戸では、性の管理が都市支配における不可欠の要素として位置づけられており、それゆえに幕府は、遊郭の動向を注視していた」。明暦の大火以降、浅草の近くに遊郭が整備され、五町が「新吉原遊郭」と呼ばれる。

「公認遊郭である新吉原の営業者と娼婦がそれぞれ「遊女屋」「遊女」と呼ばれるのにたいして、摘発の対象となる非合法の業者とそれらが抱える娼婦は「売女屋」「売女」と呼ばれた。五町は、その売女屋を摘発し、江戸市中の売買春の統制と性秩序の維持を担っていたのである」「町奉行所は遊郭の売り上げの一割を上納させており、(中略)町奉行所収入の22%を占める」

「自ら性的労働を提供し、その代価を得るつもりであっても、いったん遊女となれば、その身体は遊女屋にとっては土地や家屋敷と同じく換金、転売できる財となる」。この本では遊女屋が借金をする際に、遊女が担保となる証文を分析している。18世紀後半から大名や豪商の遊興が減少し、遊女の処遇が悪くなると、彼女たちはよく遊郭に放火をした。19世紀になって新吉原の全焼は13回もあったという。

「このような幕末以来の遊郭の状況を、根底から揺るがすことになったのが、1872年(明治5)年10月2日と10日の二度にわたって発令された芸娼妓解放令である」。この本では新吉原から解放された「かしく」という名の遊女を例にとって、その経緯を具体的に説明している。

かしくは新潟市の生まれで、7歳の時に日光の宿に売られて品川、千住と転売されて、15歳の時に深川の遊女屋に売られて、22歳の時に新吉原で解放令を迎える。彼女は深川に戻るが主人は遊女屋をしておらず、再び奉公に出そうとする。するとかしくは新吉原の奉公人の竹次郎と結婚するから遊女をやめたいと東京府に訴えた。その連名の嘆願書がおもしろいが、今日はここまで。

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