ケリー・ライカートの不思議な魅力:その(1)
蓮實重彦氏が『見るレッスン 映画史特別講義』で絶賛していたケリー・ライカートの映画をようやく見た。たまたま空いた時間に合ったのが長編第一作『リバー・オブ・グラス』(1994)で、確かに不思議な魅力のある映画だった。ヴィム・ヴェンダースやジム・ジャームッシュの初期の感じといったらいいのか。
時間があり余っていていろいろやったけど、やっぱり盛り上がらないし、何にもなれない。仕方がないから盛り上がらないこと自体を楽しんでいるうちに、時間が過ぎてしまった。結果としては妙な方向に行ったけど、もはや戻れない。そんな感じか。
最初に女性の声で独白が響き、いかにも何もないマイアミの湿地帯が写る。これが「リバー・オブ・グラス」と呼ばれる地区で、映画の題名でもある。もうこれだけで、音と画面に「いい感じ」が溢れてる。
「私」=コージーは夫のボビーと子供と住んでいるが、そこはかつて殺人があった家で、夫は家賃が安いからと借りた。結婚前は警察官の父と住んでいた。父はミュージシャンだったが、食べてゆくために警察に勤め始めた。母は彼女が小さい頃に出て行ったが、父は「サーカスに行った」と言う。そんなことがポツポツと語られる。
父は警察の拳銃を無くすが、それを拾ったのが無職のリー。コージーは退屈な現状から抜け出そうと出かけた隣の郡のバーでリーに出会う。意気投合した2人はリーの友人という家のプールで泳ぐが、現れた住人に驚いてコージーは銃を撃つ。
モーテルに隠れて逃げる2人だが、お金は全くない。リーは母の家から小銭と古いレコードを持ち出し、売ろうとするがうまくいかない。それからフロリダ州を出ようと高速に乗るが、わずか25セントの料金が払えずに後戻り。コージーはリーを車から追い出し、銃を放つ。
思わずあらすじを書きたくなるのは、あちこちに妙なショットやつぶやきや迂回が混じっていて、見終わるとまるで夢を見たような気になったから。その妙な夢の後を辿りたくなってしまう。
このどこにも行かない、行けない、全くもって冴えない「ロードムービー」のポイントは、コージーとリーが愛し合っているようには見えず、性交はおろか、ほとんど接触もないこと。ただ現状から逃げるために、だらだらと2人でいる。この停滞感がたまらない。
「コージー」という名前は「気持ちのいい」という意味で、リーはバーでその名前を聞いて笑うから、あまり多くない名前だろう。私は即座に「銀座コージーコーナー」を思い出した。一見豪華に見えて高い珈琲とやたらに甘いお菓子に加えてスパゲッティなどを出すこの店の昭和的な曖昧な感じと、どこかこの映画が通じている気がしてならない。
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