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2021年9月12日 (日)

サザエさんからリーフェンシュタールへ

昨日の「朝日」朝刊別刷beの連載「サザエさんをさがして」を読んでいたら、サザエさんの漫画で「オリンピック映画」の話が出た。見出しに「五輪とプロパガンダ」と書かれていたので、サザエさんらしくないなと思った。もちろん市川崑監督による『東京オリンピック』のネタだが、文章は思わぬ方向に流れる。

市川監督が参考にしたのが、ドイツのレニ・レーフェンシュタール監督がベルリン・オリンピックを撮った『オリンピア』(1937)だというのはいいが、そのリーフェンシュタールが実はとんでもない存在だったという話に繋がってゆく。

そこには東大教授の話として、独仏合同テレビARTEが昨年放映した「レニ・リーフェンシュタール―ある神話の終わり」というドキュメンタリーによって、「彼女が生粋の反ユダヤ主義者の党幹部と信頼関係を築いてナチスに取り入り、ユダヤ人監督を排除しながら上り詰めていく過程を明らかにした」「近年の研究では、もはや芸術的な才能も疑問視されている」と書かれていた。

もうすぐ始まる後期の授業で1年生に『オリンピア』を見せる私としては、気になる。そこで検索したら60分弱のこのドキュメンタリーが複数Youtubeで見つかった。さっそく見ると、これがすごい内容だった。

一番は彼女の映画の重要なシーンの多くはWilly Zielkeヴィリー・ジールケというユダヤ人写真家、映画監督が撮っていたという事実だろう。ジールケは1902年にポーランド生まれ、ドイツで1920年代後半から前衛的な写真家として活躍していた。彼は1931年に前衛的なドキュメンタリー『鋼鉄の動物』を作るが、なぜか上映禁止となる。

その作品の素晴らしさを見た同じ年生まれのリーフェンシュタールは、『青の光』(31)『信念の勝利』(33)『意志の勝利』(34)『オリンピア』(38)に彼を使った。『鋼鉄の動物』の一部も出てくるが、人の顔のアップや群衆シーンのモンタージュは『意志の勝利』や『オリンピア』にそっくり。

『オリンピア』の冒頭にはギリシャで撮影した印象的なシーンがあるが、ジールケは一人でギリシャに行ったとその友人が証言する。しかし『オリンピア』ではジールケのクレジットは外された。その後、彼は精神病院に入れられ、不妊手術を受けさせられる。そしてそこから出られることを条件に、リーフェンシュタールが1940年から撮り始めた『低地』(公開は1954年)の手伝いを強いられた。

リーフェンシュタールはヒトラーから高台の広い別荘を与えられていたが、そこでジールケは編集作業を命じられたという。戦争が終わり、ジールケは精神科医から「一切異常なし」という判断をもらう。一方、リーフェンシュタールはフランスに残された戦後すぐの調査報告に、ナチスに極めて近く、優秀な映画関係者を次々と使って映画を撮っていたと記されていた。

いやはや、今頃こんな話が出てくるとは。ほかにもう一つすごい話があるが、今日はここまで。

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