小林信彦『私の東京地図』を読みながら
近所の名書店「かもめブックス」でふいと買ったのが文庫の小林信彦著『私の東京地図』。私が九州の片田舎から大学を卒業して東京にやってきたのは35年前だが、いまだに「よそ者」感はある。東京出身はそれだけで違う人種のような気がする。
新宿でも銀座でもどこでもいいが、その街に対するイメージが人によって随分違うものだと思う。私の場合は、上京した1980年代半ば頃のバブルへ向かう東京のイメージが染みついている。キラキラして薄っぺらい渋谷はどうも苦手だったが、その頃知り合った東横線沿線に生まれ育った同世代の女性が、渋谷が一番好きだと言ったのに驚いた。
そんなことを考えていたら、30歳ほど上の父親世代で日本橋生まれの作家、小林信彦さんが「渋谷は何もない場所でした」などと書いていて、妙におかしかった。ここに書いたが、社会学者の吉見俊哉の東京論でも、六本木や青山や代々木は明治以降は陸軍の街で、これが戦後に米軍のものになり、その影響でアメリカ文化に憧れる若者が集まったと書かれていて納得がいった。
前置きが長くなったが、小林信彦さんの本はそういう意味でおもしろい。「まえがき」には自分のことを「下町の和菓子屋の十代目をつぐべき人間が、山の手に移り住み、原稿を書いて(売って)暮す、という苦い人生を歩むことになった」と説明し、「住み易い村を失った人間が、村の思い出をしつこく書くに等しい」と書く。
つまり日本橋に住んで家業を継ぐはずが、東京大空襲で焼け出されて一切をなくして中野から世田谷に移り住み、食うために作家になった焼け跡世代の恨み節というところ。だから基本的に山の手を斜に構えて見る。
「昭和三十年には仕事で通っていたから覚えているが、赤坂交差点(赤坂見附)から山王下、溜池、右折して神谷町、飯倉までは、自動車の板金工場が続いていた」「要するに自動車の修理工場である。おそらくは朝鮮戦争と関係があり、アメリカ大使館が近い、といったことともつながりがあるだろう」
つまり映画の『Always三丁目の夕日』(2005)で堤真一が経営する自動車修理工場のことだろう。あるいは同時代の映画ならば『お嬢さん乾杯』(1949)で佐野周二が経営する景気のいい自動車工場がまさにそれだし、あるいは『安城家の舞踏会』(1947)で元運転手の救世主、遠山が経営する運送会社も似たようなものかも。
「赤坂はともかく、乃木神社、六本木は寂しいのがよくて、むかし麻布に住む人は十番で買物をするか、六本木のGOTOで花を買うか、などと迷っていた」。「寂しいのがよくて」がいい。「東京ミッドタウン」などは彼の目にどう映るのだろうか。今日はここまで。
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